count 50,100 〜 Pazzle 〜
果てのない暗闇の中に無数の輝きが散りばめられている。
それは彼女の周囲三百六十度をはじめ、上にも下にも広がっていた。
無限に続く宇宙のような空間に彼女は自身もその輝きの一部でしかないという錯覚を覚えそうになる。
しかし、その輝きの一つに触れようとする度に、その感覚は即座に否定されていた。
その無数の輝きの欠片はパズルピースだ。
その一つ、一つに触れる度、何故かそれを理解する。
そして、自分はそれを組み立てなければいけなかった。
理由は良く分からない。
でも、このパズルを完成させなければ自分はどこにも行けないのだ。
だが、そこで彼女はふと思った。
何故、自分はこのパズルを完成させなければいけないのだろうか。
パズルのピースは数えるのが億劫になる程の数が存在している。百や二百、千や万単位では到底足りない。それこそ数えるだけで無限の時が過ぎ去ってしまうくらいにはあるだろう。
それが彼女には分かっていた。正確な数の把握こそ出来てはいなかったが、これらの輝きがどれ程の規模で存在しているのかだけは理解していた。
そして、今ここに散らばる無数の輝きは彼女が完成させなければならないものなのだ。
――やらなければ。
思い出せない理由に胸焼けのような違和感を覚えながらも、彼女は使命感にも似た何かに突き動かされ、また輝きの一つに手を伸ばす。
だが、ピースの一つを手にとって彼女はやはりどうしたものかと途方に暮れる。
それはこのパズルピースがあまりにもピースと呼ぶにはお粗末過ぎる形状をとっているからだった。
本来パズルピースという物は四辺それぞれに凹凸が存在し、それらを正しく組み合わせる事で最終的に一枚の絵と成す事が出来る物だ。
しかし、このピースにはその凹凸がどれ一つとして存在しない。どころか完成図の一部分すら描かれておらず、どちらが表で、どちらが裏なのかすら分からない。これで途方に暮れない方がどうかしている。
つまり、ずっとこれの繰り返しなのだ。
変な使命感に駆られてピースに手を伸ばしては、そのピースがどこのどのパーツかすら分からずに途方に暮れ、そして何故自分がこんないつ終わるのかも分からない作業に精を出す必要があるのかを考えては理由は思い出せないが、でも自分がやらなければいけないのだという事だけを何故か思い出してまた手を伸ばす。
――私は一体何をやっているんだろう。
そんな疑問を抱く度に何故かとても寂しくなって、泣きそうになる。
これを完成させれば確かに自分は何処かへと行けるだろう。
でも、その何処かとは何処だろう。
一体自分は何処へ行きたいというのだろう。
そんな事すら分かっていないのに、何故自分はパズルを完成させなければいけないのだろうか。
そう思うと、これを完成させる意味が良く分からなくなってくる。
明確に何処かという目的がある訳ではない。
これを完成させて誰か喜ぶ人がすぐ傍に居る訳でもない。
でも、何故だろう。
このパズルを作る事を止めてしまえば、何故かとても後悔する気がするのだ。
そして、諦める事を彼女自身も望んでいない気がする。
――私は一体何をしたいのだろう。
一体、何の為に……
思えば自分がいつからこんな事をしているのかも分からない事に気付いた。
こんなただっ広い、果てがあるのかどうかも分からない世界に彼女はずっと独りでいたのだ。
だが、それは一体何時からだろう。
何故、自分はずっと独りなのだろう。
でも、と無数に続く思考の中で彼女は気付いた。
仮に自分がずっと独りなのだとして、何故自分は独りである事を知っているのだろうか。
一人ではなく、独り。
それはとても寂しいモノだ。
寂しい事はとても悲しい事だ。
ふと手を握りこめば、そこに懐かしい温もりの残滓を感じ取る事が出来た。
――やらなければ。
理由はやはり分からないままだ。
でも、やらなければきっと自分は後悔するのだろう。
だからやらなければならない。
自分にこの寂しさを教えてくれた誰かの為に。
まだ微かにこの手が覚えている温もりの為に。
散らばる光の欠片に手を伸ばし、どうにかならないだろうかととりあえず近くにあった別の物と合わせてみる。
しかし、欠片同士はまるで磁石の同極同士のように近づく事を拒んだ。
――これは違う。
また同じ物同士を組み合わせないように片方の欠片を傍に漂わせ、また近くにあった別の欠片へと手を伸ばす。
――これも違う。
また近くに漂わせ、また次へ。
何度繰り返してもピースが合う物は見つからない。
しかし、それでも彼女はその無謀な作業を止めようとしなかった。
挫けそうになる度に、掌を見つめ、ゆっくりと握りこむ。
そうすると不思議と気力が沸いてきた。
普通なら終わりそうにないこの作業がいつかは終わるような気がする。自分が今やり続けているこの作業が無駄ではないように思える。
この先に何かが待っている気がする。
――だから。
どれだけの時間を掛けても良い。
諦めなければ、いつかは終わるかもしれない。
諦めてしまえば、そんな可能性さえも捨ててしまう事になる。
それだけは絶対にやってはいけない気がした。
「何をしているんですか?」
声を掛けられたのは唐突だった。
しかし、彼女はそれにちゃんと答える事が出来た。
――これを完成させないといけないの。
近くに合わなかった欠片を放り出しながら彼女は答えた。
――これを完成させないと、私は何処へも行けないの。
「何処へ行きたいんですか?」
――それは分からないけど、でも、何処かへ行かないと行けないの。
少し泣きそうになりながら彼女は答えた。
――だから、私はこれを完成させたいの。
「そうですか」
そう言って誰かが笑った。
「手伝いましょうか?」
そう申し出る。
――良い。これは私が一人でやらないといけないから。
しかし、彼女はそれを断った。
その申し出は確かに有り難かった。単純に考えれば効率が二倍に跳ね上がるのだ。それだけこのパズルが完成するのも早くなる。
でも、それは違う。
これは彼女が作り上げなければいけないパズルだ。
他の誰かに手伝って貰ってはいけない。
これはそういうモノだ。
「そうですか」
誰かが言う。
そこには少し寂しそうな感情が籠もっていたような気がする。
だが、同時にそれ以上の嬉しさが共存していたような気もする。
「もう大丈夫みたいですね」
そして、誰かはそう呟いた。
――え?
思わず、声が漏れ、振り返っていた。
するとそこには眩いばかりの輝きが溢れていた。
あまりにも眩しくて眼を庇わなければ焼かれてしまいそうだった。
手で覆い隠す不明瞭な視界の中で誰かが言う。
「こうするんですよ?」
そう言って光の欠片に触れた。
一体その一瞬の内に何が起こったのか分からなかった。
しかし、事実としてその一瞬の内に相手の手の中で何かが起こったのだけは理解出来た。
そこには光り輝くパズルピースが浮かんでいる。
そう、それは確かにパズルピースの形をしていた。
四辺それぞれがばらばらに欠けた凹凸はまさにソレとしか言いようがない。「どうやったのか」と尋ねる前にソレは彼女に手渡された。
すると不思議な事に欠けていた凹凸は秒として保たずに元の正方形に近い形に戻ってしまう。これには眉を顰める以外にない。
「大丈夫、ちゃんと出来ますよ」
誰かの手が後ろから触れた。
「だってこれは元々貴女のモノなんですから」
伝えられた温もりは彼女が何度も確かめてきた温もりにとても近い気がした。
感じられているだけで何だかホッとして、触れられている箇所よりも胸の奥が温かくなる。
「大事なのは向き合う事なんですよ?」
誰かは言う。
「ただ、それだけで良いんです。
たったそれだけの事で世界は少し優しくなりますから」
――私にも出来るだろうか。
彼女の心には不安ばかりが積もっていた。
彼女にとって世界というのは目の前に広がる暗闇だった。
何処までも色のない、味気ない空間でしかない。
無数に散りばめられている輝きの欠片も所詮は理解出来る物ではなく、触れても彼女には意味のない物だ。だから彼女の手に委ねられた瞬間にパズルピースはパズルピースでなくなってしまった。触れる事は出来ても理解する事は出来ない。ただ眺めるだけの、価値が分からない美術品のような物でしかない。
そんな物を今すぐに理解出来るようになるとは到底思えない。
「別に理解しなくても良いじゃないですか」
まるで自分を見透かされたような解答だった。
――良いの?
反射的にそう聞かずにはいられなかった。
「じゃあ、なんでダメなんですか?」
その問い掛けに彼女は答える事が出来なかった。
世界を理解しなくても良いなんて、今まで考えた事もなかった。
ここから眺める世界はいつも輝いていて、登場人物達はみんなそんな世界に馴染んでいて、愛されていて、楽しそうだった。
だから、きっと誰も彼もがそんな世界を理解しているんだと思っていた。
――本当に良いの?
聞き返したのはその言葉が未だに信じられなかったから。
本当に自分はあそこにいても良いのだろうか。
あの、日の当たる場所に。
許しを請うような眼で誰かを仰ぎ見たのは、それが自分に許されるのかどうかが分からなかったから。
しかし、そんな彼女に誰かは言う。
「それを決めるのは貴女なんですよ」
そんな誰かの表情は朗らかに微笑んでいる気がした。
語るまでもないという表情だと、何故か彼女には分かった。
そんな誰かに見守られ、彼女は欠片に手を伸ばす。
自分にも出来るだろうか。
脳裏に先ほどの光景を思い浮かべる。
あの眩い輝きを思い出す。
その先にあるかもしれない世界を想い描く。
行きたい世界を想像し、創造する。
そして――
描かれた世界が輝きとなって溢れ出す。
手の中から光が零れていた。
次から次へと彼女の周りを飛ぶように欠片が輝く。
どの欠片も彼女が見た事のない輝きを放ち、踊っている。
「ほら、簡単でしょう?」
“彼女”は言った。
穏やかに笑い、白い髪が踊る。
「だから、貴女はもう行かないといけないんですよ」
――そうだ、行かなければならないのだ。
此処ではない何処かへ。
今日ではない明日へ。
光の欠片が集い出す。
我先にと触れて欲しそうに舞い、次から次へと形を変えていく。
でも、足りない。
そんなスピードでは追いつけない。
速く、もっと速く!
思いが暗闇を裂いていく。
溢れ出す大量の光。
それらはもう欠片と呼んで良いような物ではなく、流れと呼ぶべき激動だった。
もうそこに暗闇と呼ぶべき世界は一欠片も存在しない。
星のような輝きが何度も何度も世界を彩り続けていく。
それは幾つものパズルを瞬時に作り上げては額に入れていくようなハイスピードな世界だった。
しかし、どんな世界も彼女が望めばすぐに戻ってくる。
思い出せる。
それはいつも隣にいてくれた彼女が教えてくれたモノだ。
だから彼女は迷うことなくその手を差し出した。
――さぁ、行きましょう。
今度は彼女が朗らかに笑ってそう言えた。
「良いんですか?」
躊躇う彼女の指先へ、自分の指を強引に絡めて引き寄せる。
――だって、この翼は二人で羽ばたく為のモノだから。
背中から急かすような羽音が聞こえる。
光の奔流は今にもドアを押し開けてしまいそうだった。
そんなドアに二人で駆けていく。
ドアの向こうに広がる世界は広いかもしれないし、狭いかもしれない。
もしかしたら独りでは何処へも行けないかもしれない。
でも、二人なら。
「「そう、私達なら――」」
きっと何処へだって行ける。
行ってみせる。
この向こうに広がる世界のその向こう側にだって、きっと。
だから名前を呼ぼうと思う。
二人でひたすらに飛び続けても果ての見えないような蒼の名を。
空よりも蒼く。
宇宙よりも深く。
そして、彼女達は紡ぐ。
その名は――
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