初めてのおつかい?



 山の月。
 日本の四季に当てはめるなら夏になる。
 ただし、問題が一つ……
 それは日本の夏なんかよりも遥かに暑いっていうこと。涼しいってみんなが言う日でも夏真っ盛りの沖縄以上に暑いと思う。
 まぁ、僕は沖縄とか行った事はないんだけどね。
 とりあえず僕――河渡燕(かわたりつばめ)がスーリアに漂着してから約二ヶ月が経とうとしていた。毎月行われる月神祭の約一週間前くらいには僕はここに来てたはずだから明日、明後日くらいで丁度二ヶ月といったところかな?
 それにしても暑い……
 ひたすらと汗がダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラ――
「暑すぎる……」
 口にしても涼しくなんて絶対にならないけど、それでも出してしまうくらいに暑い。
「この暑さは慣れない人には辛いようですね。外の国から来られる方も良く漏らしていますよ」
「ああ、やっぱりそうなんだ」
「それに私たちも慣れてはいますけどやっぱり暑いですから」
 それでも僕にそう言った彼女がかいている汗は僕よりも遥かに少ない。
「僕も早く慣れたいよ」
「そうですね」
 そう言って僕たちは笑う。
 僕の隣にいる彼女はお姫様だ。しかもこの国――変名国家ニフラの第一王妃だったりする。
 無名王女。
 人々は彼女の事を総じてそう呼ぶ。
 彼女こそがこの国の象徴であり、未来。
 この言葉は比喩でもなんでもなく、事実だったりする。
 それは彼女の真名がこの国の名として将来掲げられるからだ。
 この国が変名国家と呼ばれる由縁もここにある。
 この国の名は代々国を率いる王妃の名で変化する。そしてその名前は神の与える試練によって授けられる。
 だから彼女は無名王女と呼ばれる。
 その真名はまだ見つかっていないから。
 まあ当の本人はそれほど気にしてはいないんだけどね。それに試練とか言っても特に何かをしないといけないということも今のところは何もない。お姫様としての公務をこうして日々こなしている感じだ。
 今もその公務の一つとして僕たちは街の外れに向かっている。
 メンバーは僕とお姫様――
「貴様はもう少しキリキリと歩けないのか?」
 と、あとロイヤルガードのカミネ。
 ロイヤルガードっていうのは簡単に言うと国直属の騎士。指折りの精鋭達のことだ。分かりやすい例を使うなら円卓の騎士とかかな?まあ要するにとっても強い人たちのことだ。その強さがまさに一騎当千のそれである事を僕は先日の一件で知っている。
 緋色の魔術師の暴走。
 巷ではそう騒がれている事件で彼女は心に傷を負ってしまった。
 それは彼女が無名王女であるが故に持っている力――心を除ける力によって引き起こされてしまったどうしようもない事故。今は事なきを得てはいるがそれが彼女の心に少なからず影を落としてしまった事に変わりはない。
 今回の公務に彼女が同行しているのはそういった事件もあっての気晴らしも兼ねているのかもしれない。
 もっとも今回の彼女の同行は必要不可欠なものであるんだけどね。
「見えてきたぞ」
 カミネが示す方向に厳かな雰囲気をまとった建物が見えた。教会だ。神様を奉る神聖な場所。
 ただしこの世界には神様がいる。
 しかももの凄いちっちゃいのが……
 オミリアというのがこの国を守る神様だ。彼女は毎月の月神祭の時にだけ僕たちの前に現れては祭りを楽しんでいく。一応楽しむだけじゃなく、ちゃんと仕事もしては帰るけど、僕の視点からはどう見ても祭りを楽しむのがメインイベントな気がする。
 ちなみに僕はどういう訳か彼女に気に入られたらしく、二ヶ月連続で彼女に月人に選ばれていたりする。あくまでも付き人ではなく月人。やってる事は限りなく前者に近い気がするけど……
 目の前にそびえ立つ教会もそんな彼女を奉ったものの一つなのだと、僕はお姫様やカミネから聞いている。
「間近で見ると余計に大きく見えるなぁ」
 そしてその威圧感もより強くなったような気がする。やはりどれだけ変な神様を奉っていてもそこは教会だということなのかな。
 ギィとそれこそ厳格な音を響かせてカミネが扉を開けた。
「凄い……」
 僕はそこに広がる光景に思わず息を呑んでいた。
 外では億劫になるようなきつすぎる日差しがそこに神秘的な空間を生み出していた。
 虹色に輝く無数のカーテン。
 言い表すならそんな光景。七色に輝く光のカーテンが教会の神聖な空間に差し込んで大気中に舞う埃に反射されてそれもまたキラキラと輝いている。
 言うまでもない事だけどとても綺麗だ。
 それを生み出しているのは教会に取り付けられたいくつものステンドグラス。
 これが夏の強烈な日差しを色鮮やかに変化させ、この光景を見せているのか。
「…………」
 声を漏らすことすら出来なかった。そんな事をしてしまったらこの光景が壊れてしまいそうだったから。
 僕はただただその光景が壊れない事を見守るだけ。
 ただ、静かに――
 いつまでもそうしていたいと思ってしまう。
 けどそういう訳にもいかないわけで、僕は後ろから思い切り蹴飛ばされた。
 さっきまで味わっていた空気なんて知った事かと僕は勢いよく低空を滑空して、顔面から床に突っ込んだ。オマケにズザザと豪快な音まで立てて。
「痛ぇ……」
 木目の床に擦った顔ももちろんだけど、強固なブーツで蹴飛ばされた腰もやたらと痛い。
 こんなことをするような奴を現状で僕は一人しか思い浮かばない。
 カミネ=ハインアート。
 藍色の切り揃えられたショートヘアーに男装の麗人のような服装、そして腰に下げられた細身のカトラスは神器“鳴神”。
 彼女もこの国が誇るロイヤルガードの一人だ。主な任務は無名王女のボディガード、だと思う……勿論その実力は折り紙付き。大好物は傍でおろおろとその様子を見守るお姫様、嫌いなものはそのお姫様と最近良く一緒にいる多分僕、河渡燕……
 そんな彼女が殺人的な視線を僕に投げかけていた。
「さっさと入れ!この馬鹿者!」
 ついでに罵倒まで飛んできた。最悪。
「だからって蹴らなくても良いだろう?」
 僕は痛む腰と額をさすりながら抗議する。
「黙れ」
 でも僕のささやかなる抵抗は彼女の驚異的なまでの迫力を持った視線と、同時に腰の真横でカチャリと音を立てた“鳴神”によってあっさりと制圧された。とりあえず僕は今この場でかの有名なガンジーの『非暴力、非服従』を主張したい。
「何か言いたい事があるのならさっさと言え」
 カトラスが再度、金属音を奏でる。
「悪かった、よ……」
 主張はあっさりと暴力に屈しました。分かってはいたけど、やはり僕には無理なようです。歴史上の人物とはやはり偉大な存在だということを身に染みて実感。
「フンッ」
 しかし当のカミネは未だに何かが不満らしい。“鳴神”からは手を離したものの、未だにその凶悪的な視線は僕を睨みつけていた。
 嫌われてるなぁ僕……
「まあまあカミネ、そんなに怒らなくても良いじゃないですか」
「姫様」
 助け船を出してくれたのは毎度のことだけど、お姫様。
「この時期のここを見た人の反応はみんながみんな同じなんですから」
「そうなんだ」
「ええ、私もカミネも初めてレスティアにここに連れてきて貰った時はここの美しさに呆然と立ちつくしたものです」
 じゃあ僕がこれに心奪われたのも別段おかしくないじゃないか。そう思うと何だかさっき蹴飛ばされたのが非常に理不尽に感じてきた。
「もっとも私と姫様がレスティア姉様に連れてきて頂いたのは幼少の頃だったがな」
 反撃ののろしを上げようとした僕にカミネは先手を打ってきた。
 つまりカミネはこう言いたいのだ。

「貴様はガキっぽいんだよ」

 そう良いながらカミネが鼻で笑い飛ばす光景が見えた気がした。何だか無性に腹が立ってきた。
「夕刻になると光の色が変わってまた違う光景が見えるんですよ」
 僕たちの心情などきっと知らずに、「それもとっても綺麗なんですよ」とお姫様は付け加える。
『いつかギャフンと言わせてやる』
『返り討ちにしてくれる』
 言わずと僕とカミネの言葉が火花を散らす。
「フッフッフッ……」
「はは……」
 乾いた笑いがお互いに漏れ、僕はいつかカミネの弱みを掴んでやろうと心に誓う。
「二人ともどうかしましたか?」
 僕とカミネの間にだけ漂う不穏な空気についに気付いたのか、お姫様が何かを伺うように尋ねてきた。
「いえ」
「いや、それじゃあまた来ないといけないなと思ってさ」
 こういうときだけ僕と彼女の考えはシンクロする。
 お姫様はあれ以来心の中をむやみに覗かなくなったので、表情だけでなんとかごまかせたりもする。こういうときはこれが心底ありがたい。
「そうですね」
 内心ドキドキしてたけど、今回は何とかごまかし切れたようだ。危なかった……ばれればカミネ共々お姫様の「なんで仲良く出来ないんですかッ!」といった半泣きでのお説教が待っている。勿論聞いてる間は正座必須……
 思い出しただけでも恐ろしい。
「ツバメ様?」
「わッ――」
「キャッ――」
 考え事をしてるとお姫様の顔がニョキッと生えてきた。いや、本当はただ覗き込まれただけなんだけど。
「だ、大丈夫ですか?ボーっとしてましたけど?」
「いや、うん。大丈夫。ちょっと考え事してただけだから」
 まさか君に怒られたときのことを思い出してましたとは言える訳がない。
 きっと同じ事を考えていたんだろう。カミネが微妙にホッとしつつも、自分のところよりも先にお姫様が僕の方に来たのが気に入らないといった微妙な感じの顔をしている。きっと後で八つ当たりされるんだろうなぁ。
「それにしてもお目当ての人はまだ到着していないみたいだね?」
 僕は二人の思考を当初の目的に引き戻すことを試みた。
 そもそも僕たちが今日、この教会に訪れたのは客人の迎えという公務があったからだ。そのお客さんはニフラの隣国、アルステッド共和国からの御来訪だ。
 アルステッド共和国はニフラと不可侵条約を結んでいる友好国で、その国境は互いの国の中間にあるベリスト山脈で分けられている。その山脈に分けられているためか、アルステッドはニフラ同様に四季はあるものの、その変化は非常に緩やからしい。恐らく日本の気候に近いというのが僕の予想。
 そしてそのアルステッドから今日は親善大使がやってくるというのだ。
 でも親善大使とは言っても訪れるのは今年アルステッドの国家上流院で主席を修めた将来の官僚候補らしく、そこまで大層にお出迎えする必要はないらしい。
 しかしやはり名目上は親善大使ということでお姫様にお出迎えをさせようということになったのだ。レスティアさん曰く「おまけにカミネちゃんを護衛に付けておけば、この忙しい時期に警護の人員も削減出来て、一石二鳥ですよね〜♪」とのこと。
 対するお姫様もこういう公務は初めてらしく「ドキドキしますね!」とかなんとか。
 ちなみに僕が今回のお姫様の公務に同行しているのはレスティアさんによると「どうせなら記念にどうぞ〜♪」ということらしい。何の記念なのかはレスティアさんにでも聞いて欲しい。きっと教えてくれないと思うけど。
 それにしてもこの光景が何故か初めてのお遣いのように見えてしまうのは僕だけなんだろうか……
「そういえば今日は誰もいないのでしょうか?」
 お姫様が思い出したかのように言葉を漏らした。
「いつもは誰かいるの?」
「はい、常にシスターが一人はいらっしゃるはずなんですけど……」
「そういえばそうですね」
 カミネも思い出したのか教会の中を見渡す。
 が、そこには勿論だれも――
「ここにいるのでございます〜」
 どうやらいたらしい。
 正しくは声しか聞こえない。辺りを見回してみても教会の中にあるのは僕たち三人の姿だけだ。
「ど、どこだ?」
 姿の見えない声の主にカミネも警戒してか、鳴神の柄に手をかける。
「ここ、ここでございます〜。お助け下さいまし〜」
 微妙に声が僕たちのそれよりも響いて聞こえる。もしかしたら地下室でもあるのだろうかと僕が逡巡しているとお姫様がどうやらそれを発見したらしい。ある一点を注視してどうしたものかと立ちすくんでいる。
「姫様?」
 カミネがお姫様の視線の先を見ようと近づき、そして同様にピタリと止まった。
「…………」
「…………」
 二人して何も言おうとしない。
 そんな反応をされると気になるというのが人の常というものだ。僕も気になって仕方がない。お姫様とカミネの肩の間からそろっとその先を覗き見る。
「…………」
 えっと……うん。何となく分かる気がした。
 流石にこれは僕もどう言えば良いのか分からない。というかなんでそうなったのかが分からなかった。
 いやだって備え付けられたイスの下から足生えてるんだもん。

「いや〜、助かったのでございますよ〜。皆様は私の命の恩人でございます〜」
 大袈裟すぎるお礼を言いながら彼女はずれ落ちてきた眼鏡をクイッと上げる。
 レスティアさんと気の合いそうなしゃべり方をするこのシスターがイスの下から生えてた足の持ち主だった。
「まあ無事で何よりです」
 本当は単刀直入になんであんなことになったのかを聞きたかったけど、僕はそれを堪えて当たり障りのないだろう答えを返しておいた。いくらなんでも初対面の人にいきなりそんな突っ込んだ質問は出来ないしね。
「それにしても何であんなとこに挟まってたんですか?」
 と質問したのはお姫様。
 流石というか何というか。その顔には悪びれる様子は全くない。恐るべし天然キャラ……
 いや僕もすごく気になってるから助かるんだけど。
 横目でチラチラ見るとカミネも相当気になっていたようで、お姫様の振った話題に興味津々なようだ。必死に表には出さないように気を遣ってるみたいだけど、最近見慣れてきたのか、彼女の微妙な表情の変化がなんとなく分かるようになった気がする。
「いやそれがですね〜、この眼鏡とっても長い間使っているのですけれども、そのせいか良く落としてしまうのでございますよ〜。今日もその例に漏れず落としてしまったのでございますけれども、それが何とイスの下を通っていってしまいましてですね〜、私もそれを追ってイスの下を通って追ってみたのでございますが、ものの見事にお尻の辺りで引っ掛かってしまったのでございますよ〜」
 「ホントに困ったのでございますよ〜」と彼女は笑いながら続ける。
「でもまぁ何とか眼鏡は捕獲出来たのでございますので、押してダメなら引くしかないという論理の名の下に、体を引き抜こうとしたら今度は胸が支えてしまってですね〜、もうどうにもならない状態になってしまって困っていたという訳なのでございますよ〜」
 そう言って彼女はまた眼鏡をグイッと上げる。同時に先ほどイスに挟まれてしまった要因の胸が上下に大きく揺れた。
 言われてみれば確かに凄いスタイルだった。まさにボンッ、キュッ、ボンッって感じの体型。そしてそれがさらに修道服っていうタイトな服なもんだから余計に際だって見えてしまっていた。
 えっととりあえず衛生教育上としてはあんまり好ましくないっていう事でここは一つ……ね?
 それにしても凄いグラマーな人だな……
「オホンッ!オホン!」
 唐突に横からとっても不自然な音。
 しまったと思った時にはもう既に遅かった。見なくても分かる。そらくらい強烈な殺気を伴った視線をお姫様が僕に向けていた。
 背中をかつてないほど冷たい何かが通り過ぎていく。
「え、えっと……」
 「馬鹿め」とカミネが小さく罵倒する。今回ばかりはそれに反旗をひるがえすことは出来なかった。というかそんな余裕が今の僕にはない。
「ツ・バ・メ・さ・ま?」
「は、はひ……」
 やばい声が引きつった。
 ミシッと不意にその衝撃はやってきた。
「ッ――」
 声すら出ないほどに痛かった。いてもたってもいられず僕はその場を大きく飛び退いて蹲った。きっと目尻に涙が貯まっている。
 要するにそれくらい痛いってこと。
 ちなみにお姫様の今日の靴は歩きやすさを重視したブーツだ。底には防護面を考えて鉄板が打ち付けられた品らしい。とりあえず鉄板は止めておいて欲しかった。
「そちらの方はどうかされたのでございますか?」
「さあ、どうされたのでしょうね?」
「お気になさらず、シスター」
「そ、そうでございますか」
 カミネは勿論、シスターですらお姫様の中に潜む魔に恐れをなしてそれ以上の追求はしない。
「それはともかくとし、てシスター」
 コホンと咳を一つ入れ、カミネが話を仕切り直した。
「アルステッド共和国からの大使はもうお着きだろうか?」
 そうだった。危うく痛みの余りに本来の目的を忘れるところでした。僕たちは遊びに来た訳じゃない。ちゃんと与えられた仕事があるのだった。
 僕は足の痛みを何とか堪えながら立ち上がる。多分まだ微妙に顔は引きつっているだろうけど、そこは気合いで何とかカバー。
「予定では朝の内には到着していると聞いているんですけど?」
「何かトラブルでもあったのでしょうか?」
 お姫様が心配そうにシスターに尋ねた。まだ何かあったと決まった訳ではないが、姿が見えないとなるとやはりそれなりに心配ではある。特にお姫様に至ってはその心配がまだ会ってもいない人物であるにもかかわらず、親身になって心配している。
 僕はそんな彼女がやはり人の上に立つに相応しい人物なのだと改めて感じる。きっと僕にはそれほど心を痛めることは出来ない。例えるなら地球の裏側で死にかけている人の心配をしろと言っているようなものだ。まぁその例も極端過ぎるのかもしれないけどね。
 でもきっと彼女なら、そんな端から見ればどうでも良いと言えてしまうような人の事でも真剣に思う事ができるんじゃないだろうか?
 僕はそう考えてしまう。
 そして彼女はきっとそれを本当にやってしまうんだろう。
 彼女はそういう人なのだ。
 無名王女という人は呆れるくらいにどこまでも優しい。
 その結果として、彼女の心配は大抵が杞憂に終わる。今回もその典型的な一例になった。
「それなら全然大丈夫でございますよ〜」
 シスターが相変わらずの口調で和やかに告げた。
「それきっと私のことですございますから〜」
「え……」
 開いた口がふさがらないとはきっとこんな感じに違いない。僕はまさに今それを現実として体験している。
 お姫様も大きな瞳を更に大きく見開いてどうリアクションを取ったら良いのか、とにかく驚いてる感じ。
「と、ということは貴女がミス・ロマリアで宜しいのですか?」
 きっと色々突っ込みたいのだろう。カミネがこめかみの辺りとか、こめかみの辺りとか、それからこめかみの辺りとかをとにかくヒクヒクさせながら確認する。
 お、大人だなカミネ……
 何か初めて怒るのを我慢するカミネを見た気がする。あれだけいつもやたらめったら怒るのにちゃんと我慢もできるのかと僕は少しばかり感心した。うん、偉いぞカミネ。できればその調子で僕に八つ当たりする回数を減らして欲しいね。
 きっと無理だろうけどさ……
 そんなカミネは未だに必死になって怒るのを耐えている。
 さっきのことも含めて、やっぱり城に帰ってから僕に八つ当たりするんだろうなあ……
 色んな意味で僕の背中をまた冷たい物が流れていく。おまけにちょっと悲しく感じるのはなんでだろう。
「そういえば自己紹介がまだでございましたね〜」
 そんな僕の心情などきっと全く知りはしないだろう彼女――ロマリアさんがゆっくりと自己紹介。
「私、アルステッド共和国が親善大使、ロマリア=シュペルディイムでございます。この度はお招き頂きました事を至極感謝申し上げるのでございますよ〜」
 えっと……
 とりあえずようこそニフラへ……?
 僕の体を激しい脱力感が駆け抜けていった。

「それにしてもまさか教会にいたのがロマリア殿だけだったとは。飛んだ失礼をいたしました」
「いえ、私こそ申し上げるのが遅くなりまして申し訳ございません。タイミングとは難しいものでございますわね〜」
「そうですね」
「確かに、タイミングは一度逃してしまうとやりづらいものがありますよね」
 僕はお姫様と彼女に同意する。
 思えば僕たちも自己紹介するときには凄い遠回りしたんだよね。今ではそれも少し懐かしく感じられた。
 ロマリアさんの話によると、僕たちが待ち合わせにした教会を管理するシスターは早朝に月神祭の準備のための用事があるのを忘れていたそうだ。
 しかしロマリアさんを放って用事の方に出向く訳にはいかないと焦っているその背中をどうやら彼女自身が押したらしい。何でも彼女はアルステッドでも教会に奉仕しているらしく、その手の管理、対応には手慣れているのだとか。僕たちが到着する少し前までも祈りを捧げていたらしい。生足事件はその直後に眼鏡を落っことして起こったんだね。何かスッキリしたかも。
 僕たちはガタゴトと揺れる馬車の中で談笑している。
 教会に本来そこを管理しているはずのシスターはまだ戻ってきてはいなかったけど、僕たちが迎えに来たらそのまま行って良いとロマリアさんが言付けを貰っていたので置き手紙を残して僕たちは教会を跡にした。そして今は教会があらかじめ用意してくれていた馬車の中ってわけ。
 行きが徒歩だっただけに馬車の振動をさっ引いてもその中はすこぶる快適だ。
 特に僕はもう足が棒のようだっただけにとても助かってたりする。隣に座るお姫様も表に出さなかっただけで結構疲れていたらしく、ホッとした顔でロマリアさんと言葉を交わしている。やはりそこはお姫様だということかな?平然としているのは鍛え抜かれた精鋭のカミネだけで、その彼女は今も照りつける日の下で馬車の手綱を握っている。
「暑くはないですか?」
 カミネを気遣うのはお姫様。
 山の月の日差しがきついのは毎年のことらしいけど、それでも熱中症で倒れる人は多いらしい。彼女にとって身近な人物であるカミネを心配するのは当然と言えば当然のことだ。
「大丈夫ですよ。暑くないと言えば嘘になりますが、姫様にご心配をお掛けするには及びません」
 そして心配するお姫様の気遣いに気丈に答えるカミネのその姿もいつものことだ。もちろんそれが強がりなんかじゃないのもいつものこと。彼女がお姫様の前で強くあろうとする為にどれほどの努力が重ねられているか僕には想像も付かないけれど、きっとそれはもう凄まじいものに違いないだろう。
 でもそれが今の彼女を支える礎なのだろうと僕は思う。
 何よりもお姫様の前で下手な嘘を付くほど彼女は馬鹿じゃないだろうしね。
「それなら良いんですけど、無理はしないで下さいね?この季節は大変なんですから」
「分かっていますよ」
「本当ですか?」
「本当です」
「オミリア様に誓って?」
「オミリア様に誓って」
 お姫様の問いかけに、カミネが微笑みながら答える。そんな二人のやりとりは見ているだけでも微笑ましい。その光景はまるで姉妹そのものだ。
 レスティアさんとお姫様も姉妹のような関係だが、この二人の距離もそれに負けず劣らずだと思う。この二人は年が近い分余計にそう感じるのかもしれない。友達のような姉妹。そんな感じがピッタリくる。
「分かりました信じます」
 そしてだいたいいつもお姫様の方が先に折れる。それはきっと彼女が無名王女でカミネがロイヤルガードだという壁のせいもあるのかもしれない。それでもそんなやりとりをお姫様が楽しんでいるのはレスティアさんとカミネくらいだろう。
「でも本当に疲れたら言って下さいね?私が代わりますから!」
「それは絶対にダメです」
「それは絶対にダメ」
 僕とカミネが同時につっこんだ。
「もう、何でですか?」
「当たり前じゃないか」
 もしお姫様に馬車の運転なんてさせでもすれば速攻で首が飛んじゃうよ。
「君にやらせるくらいなら僕がやるよ」
「当たり前だ馬鹿者」
 僕の主張にカミネが毒づきながら同意する。ちょっとムカッときたけどそこは我慢。
「では、私が代わるのでございますよ〜」
「「それもダメです」」
 ロマリアさんの主張に、今度はカミネとお姫様の声が重なる。まぁお客さんにそんなことさせるわけにはいかないよね。
「危なっかしいように見えるのかもございませんが〜、これでも馬車の操作にはそれなりに自信があるのでございますよ〜」
 ロマリアさんがゆっくりとガッツポーズする。でもその絵はどう見ても頼りない。
「え、ロマリアさん馬車の運転が出来るんですか?」
 しかしお姫様の目にはそれがとても羨ましく映ったらしい。何か恨めしいものでもあるかのようにロマリアさんを見つめている。
「できるのでございますよ〜。先ほども申し上げましたように、私教会にお勤めさせてもらってましたので、その時に何度もやったことがあるのでございますよ〜」
 なるほど確かにそれなら彼女が馬車の運転ができても不思議じゃないか。
 僕は何となく納得する。カミネもきっと似たような感じだろう。
 しかしお姫様はそれが余計に不満だったらしい。自分だけが仲間はずれな気がしたのか「良いなぁ〜」と、ポツリと漏らす。
「そんなに羨ましいの?」
「それはもう」
 尋ねる僕にお姫様はかぶりを振って答える。
「昔から何度もカミネやレスティアが操るのは見ているので、一度やってみたいんですよ。でもいつも皆にダメだと言われるので」
 「馬なら乗れるんですけどね」とお姫様は付け加える。
「馬に乗れるだけでも凄いと僕は思うんだけどなぁ」
 ちなみに僕は馬にも乗れなかったりする。この世界に来てからヘリオルの指導の下に挑戦してみたけど、ものの見事に振り落とされた。ヘリオルには「才能がないのう。ほむほむ」とか言われたくらいだ。
「ツバメ様は良いんですよ」
「いや、乗れるものなら乗れるようになりたいと思うんだけどね」
 それはきっと僕がこの世界の人間じゃないからなんだろうけど。でも僕の世界でも馬に乗れる人はやっぱりいるわけだし、それを考えると僕もこの機会に乗れるようになりたいなぁと思うわけで。
「止めておけ。貴様には才能がない」
「そうでございますね〜。ツバメ殿は何となく鈍くさそうですし」
 カミネに言われるのは何となく分かるけど、ロマリアさんに言われると何だか無性に悔しくなるのは何故だろう?
「そうですよ。ツバメ様は止めておいた方が良いですよ」
「ひどい言われようだ」
 微妙に肩が落ちる。まさかお姫様にまで言われるとは思ってなかったから余計に凹む。
「でも私はやはり一国の王女として馬車くらい操れるようになりたいんですよ!」
 そして再度話の矛先はそこへ向くらしい。
「いや、別にお姫様のステータスに馬車が操れるなんてスキルはいらないと思うんだけど……」
 むしろ僕はあったらちょっと嫌だなぁと思ってしまったり。だって何かそんなお姫様って肉体派な感じがするじゃないか。
「そんなことないです!何かあったときに私が馬車を操れれば役に立つかもしれないじゃないですか!」
「その何かが起こらない為に私たちがいるのですが」
 その通りだ。そのためのロイヤルガードなのだ。そんな事を彼女が兵達の前で言えば彼等は達所に落胆するだろう。この国の人たちなら逆に奮起して士気が上がるような気もするけどね。
「い、良いじゃないですか!馬車の運転くらいッ!」
 支離滅裂な言い方になってきた。要するに彼女は単に馬車を運転したいだけのようだ。
「ダメです。何と言おうともそれは出来ません」
「どうしてもですか?」
「どうしてもです」
「ホンの少しで良いですから?」
「ダメです」
「ケチ」
「はい」
「…………」
「むくれてもダメなものはダメです」
「ツバメ様ぁ〜」
 いや、僕に泣きつかれても……。ほら何かカミネの視線が危ないし。
「この国は平和でございますねぇ〜」
 のほほんとロマリアさんが口にする。
 確かにこの国は良い国だけど、今の僕の周りは何やら色々と危険だったりするわけで。
 それでもこんなやりとりが城まで延々と続いた。
 結局というか、やっぱりと言うべきか、最後までお姫様が馬車の従者席に座ることはなかった。


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