W 月神祭



 バンッ、ババンッ、バン!
 真昼だというのに青空に色とりどりの花火が舞っている。
 それと同時に人々の拍手喝采が巻き起こり、月神祭(げっしんさい)の始まりを祝った。
 スーリアにも四季が存在し、暦がある。
 花の月に始まり緑の月、霧の月、雨に汐、果実に山、色、風、霜、雪、彩、そして宴の月の全一三月。一ヶ月は地球と同じ七日――月、火、水、木、金、土、太陽、を一週間とする四週で過ぎ、一年は三六四日で過ぎるという一年が一三月あるところ以外はほぼ地球と変わらない。
 それぞれの月の最終日――要するに第四週の太陽の日にその月の感謝と次の月の平和を祈り祭りを行う。それが月神祭だ。
 ちなみに今日までが汐の月で明日からは果実の月らしい。
 月神祭は今僕が眺めている花火と人々の拍手喝采で幕を開け、その日一日は国の至る所で祭りが行われる。国を挙げてのお祭り騒ぎというわけだ。
 スーリアにも花火は存在するが、こっちの世界の花火は僕が地球で見ていた花火とは作りが違う。地球のは火薬とか他にも色々薬品を混ぜたりして花火の色とか模様を作っていたと思うんだけど(もう、高校の時の話しだからあんまり覚えてないけど、もしかしたら中学だったかもしんない)、この世界では魔法を使っている。
 とても信じられないことだけどこの世界には魔法が存在する。
 ゲームの中の話しだと思ってた魔法。気付いたのはつい三日ほど前のことだけど、実際に僕が体験したのはもっと前の話し。今からちょうど一週間前。
 カミネに殺されかけ……いやいや初めて会った日のことだ。
 カミネが僕にはなった鎌鼬。あれも魔法の一種らしい。ただし普通の魔法ではなくて魔法剣ですとお姫様に教えられた。何かますますゲームの中の話しみたいだけど。でも現実なんですよ、河渡燕君。
 実際にその翌日にお姫様の魔法の授業にも立ち会わせてもらったし。
 ついでに言うと、お姫様の魔法の実力は微妙なところで、危うく僕は火ダルマになるところだった。何か火ダルマになっても魔法ですぐに治せるから大丈夫ですとかお姫様に胸張って言われたけど……断じてゴメンだ。火ダルマなんか経験したくもない。
 レスティアさん曰く、お姫様の魔力が桁外れに強いからだとかそうじゃないとか。とりあえず魔法の授業は遠巻きに眺めさせてもらうことにしようと思う。
 閑話休題。
 そんなわけで今僕は城下町で祭りを楽しんでいる。
 もちろん一人ではなく、彼女もいる。
「ツバメ様、早く、早く!」
 この国の人間なら誰でも知っているお姫様――無名王女様だ。
「あんまりはしゃぐと転ぶよ」
「大丈夫ですよ。いくら私でもそんな簡単にッ、キャッ!」
 て、言ってる傍から体勢を崩すお姫様。
「ゲッ」
 そして彼女を抱き止めようとする僕。
 フワッと綿でも救うかのようにお姫様を華麗に素敵にナイスキャッチ。
「ありがとう」
「いえ、お怪我がなくて何よりです」
 したのは僕じゃなくてロイヤルガード、お姫様近衛隊のカミネさん。
 そうでしたね。あなたもいましたね。
「私もいますよ〜♪」
 はい、分かってます。
 あなたがいるのは分かってます。忘れたくても忘れませんよレスティアさん。
 それと何度も言いますが僕の心の中を勝手に読まないで下さい。
 せめて心の中くらい僕に自由を下さい。
「それは無理なんじゃないでしょうか〜♪」
 お願いだから即答しないで下さい。何か泣きたくなってきたじゃないですか。
「男の涙はみっともないですよ〜♪」
 誰か助けて……
「ツバメ様〜♪」
 ついさっきこけそうになっていたお姫様がカミネに「また転びますよ」と促されながらもこっちに向かって駆け足でやってくる。その手には一つずつの紙コップ。それには山盛りの何かが入っている。今度こけたらそれはそれは大惨事になるだろう。
「これ食べてみて下さい。きっと美味しいですよ。私も大好きなんです」
 そう言って中身を無事にぶちまけることなく渡された紙コップは冷たい。中に入っていた山盛りのそれは色つきの氷で、上には白い液体(多分練乳)がかかっている。
「フローズンジュースって言うんですよ。スーリアのお祭りには欠かせないデザートです。色んな味があるんですけどレスティアの話しだとアッキスが気に入ってたみたいなので、アッキスにしてみました。是非、召し上がってみて下さい」
「ああ、ありがとう」
 名前と見た目から一瞬にしてかき氷を想像した僕はとりあえずそれを一口すくって口に運んだ。
「どうですか?」
「うん、美味しいよ」
 やはりフローズンジュースなるものはかき氷に似ている。違うのは名前の通り氷自体がジュースを凍らせたものであるくらいだ。かかっている練乳っぽい液体もまさにそれだが、練乳よりも遙かに甘く、口当たりが良い。氷にしても地球で食べた氷よりも美味しいし、ジュースを普通に凍らせてもこんな味は出ないだろうと思う。まあ、やったことないから何とも言えないけどね。
「僕の世界にあったかき氷っていうデザートに似てるね」
「ツバメ様の世界にもフローズンジュースがあるんですか?」
「うん。でも、僕の世界にあったかき氷は水から作った氷を使っていたんだけど、こっちのフローズンジュースの方がずっと美味しいよ」
「お口にあって良かったです」
 僕等は笑いながらフローズンジュースを食べ進めていく。
 ちなみにレスティアさんも食べている。レスティアさんのフローズンジュースは紫色をしていて、お姫様のは黄色だ。「カミネちゃんも食べれば良いのに〜♪」とレスティアさんが進めるのをカミネは頑なに拒んで、お姫様の笑顔を堪能している。端から見ればそれはそれで楽しんでいるように見える。実際にカミネはそれで月神祭を楽しんでいるようだし。
「それにしても本当に凄い規模の祭りだなぁ。国中でやってるんだよね?」
 二人よりも一足先に食べ終わった僕は指に付いた練乳を舐めとる。紙カップを手近に設置されていたゴミ箱に捨て、周囲を見渡す。
 どこまで見てもお祭り一色の風景。
 僕の地元で行われていた夜店なんかとは規模のレベルが違う。国を挙げてのお祭りだしテレビで中継されるようなねぶた祭りとかよりも遙かに規模は大きいだろう。
「はい、国中と言っても実際はニフラの主要五大都市で行われてるんですけどね。それぞれもっとも近い都市に行ってお祭りに参加するんですよ」
「へ〜、凄いなぁ」
「ツバメ様の世界には月神祭のようなお祭りはなかったんですか?」
 素直に感心する僕に尋ねるお姫様。彼女もどうやら食べ終わったようだ。
「そうだなあ、一応大きなお祭りはあったけど、月神祭に比べれば規模は全然小さいね。僕の住んでいたのとは別の国に行けばもっと大きなお祭りをやってるところもあるけど月神祭とどっちが大きいかは分かんないや。第一、僕もその国には行ったことないし」
「そうなんですか」
「うん。ごめんね、ちゃんと説明できなくて」
「いえ、そんなに気にしなくても大丈夫ですから。それに月神祭の方がきっと楽しいですよ。だってツバメ様は今ここにいてお祭りに参加してるんですから!」
「うん、そうだね。確かに君の言うとおりだよ」
 僕は笑いながら空を仰いだ。
 お姫様の言うとおりだ。そりゃ行ったことのない祭りよりも今僕が楽しんでいる祭りの方が楽しいに決まってる。
 だって実際に参加してるんだから。当然だ。
「そりゃ参加しないよりもする方が楽しいに決まってるよね」
 ひとしきり笑うと僕は彼女に手を差し伸べた。
「そろそろ行こうか。まだ、僕は参加し足りないよ」
「はいッ!」
 僕の言葉にお姫様が嬉しそうに手を取ろうとした。
 でも――
「残念だがそれは不可能だ」
 それはあっさりとカミネが遮った。
「姫様、そろそろお時間です」
「え、もうそんな時間なんですか?」
「はい」
「そうですね〜、そろそろ移動のお時間ですよ〜♪」
「そうですか……」
 お姫様の顔が残念そうなものになる。遊び足りないとかそんな感じのだ。
「何かあるのか?」
「はい」
「姫様にはこの後公務がある」
「その準備もあるので一度お城にお戻り頂かないといけないんですよ〜♪」
 月神祭は今日一日掛けて行われるのだが、お姫様はまだ1時間弱程度しか楽しんでいない。それなのに公務か。
「今日くらい休みになれば良いのにね」
「そうですね、でも今日の行事は凄く大事なことですし、私も楽しみにしてますから」
 そう言う彼女の顔には嘘偽りのない笑顔。
「そっか。それじゃあ、戻ろうか」
 お姫様がお城に戻るのに僕だけがお祭りを楽しむわけにもいかないだろう。僕は残念ながらも足をお城の方向に向けることにする。
「いえ、ツバメ様は残って下さって結構ですよ」
 先に歩き出そうとした僕に向かって彼女が言う。
「初めての月神祭ですし、ゆっくり回ってみてはどうですか?」
「いや、でも、僕一人で回るわけにもいかないだろう?」
「私のことなら気にしないで下さい。それにまた午後には一緒に回れますから」
「でもなぁ」
「まあ、とりあえずお一人で回ってみてはいかがですか〜?今までの生活習慣の勉強が身に付いてるかどうか確かめる意味も含めて〜♪」
「確かめるも何もほとんど僕の世界と変わらなかっ――」
「回りますよね〜♪」
「…………はい、回ってきます」
 本当にノーと言える人間になりたい。

「それじゃあまた後でね」
「はい。気を付けて下さいね。集合時間は多分お祭りを回っていれば分かると思いますから」
「うん、分かった」
 お姫様が一礼しカミネとレスティアさんの二人を連れてこの場を後にする。通り過ぎる人たちが彼女に声を掛け、挨拶をし彼女もそれに応えている。
 それにしても本当に平和な国だ。
 お祭りを回りながら聞いた話によると彼女は週に何回か外に出ていると言う。もちろん一人ではなくカミネやレスティアさんが付いているが、それでも僕のイメージでは国のお偉いさんがそんな軽々しく外に出て大丈夫なのかと考えてしまう。
 しかも彼女は無名王女だ。この国の将来の女王陛下なのだ。それがおいそれと外に出ているというのは僕にはいささか想像しがたいものだ。
 でもレスティアさんの話によるとそれこそが重要らしく、頻繁に町に顔を見せることで民とのコミュニケーションを図り、更に僕のイメージのような傲慢で高飛車な貴族に育てるのではなく民のことを考えられる王女になるための教育も兼ねているようだ。これにより王家と国民の間の敷居を低くし、緊急時の協力体制も強いものに出来るようだ。雲の上の手の届かない位置にいるから話しても無駄とか、そういう考えが起きないようにしているのだ。
 実際、この方針は良い方向に動いており、すれ違う人々は誰もが気軽にお姫様に声を掛けているし、特に子供達に彼女は大人気でたくさんの子供がたわいもない話しを楽しそうに彼女に語っていた。もちろん彼女もそれを楽しそうに聞いてたりするのでそこには何とも和やかな絵が生まれていた。
 またこの方針で民に親近感を持ってもらうことで要人誘拐を防ぎやすくしたり、国の目がいつでも民に向けられていることをアピールし犯罪の減少にも繋がるのだという。
 これも実際には成功していてニフラは周囲の国々と比べて遙かに犯罪数が少ない。
 まさにニフラは絵に描いたような理想の国に限りなく近いものだ。
「さて――」
 そして今僕は実際にそんな国にいる。
「どこから見て回るかな」
 この国の世界をじっくり一人で見て回るのも確かに悪くないだろう。お姫様といると何でも彼女が説明してくれるが、たまには自分でそういった事を聞き尋ねるのも楽しいだろう。
 とりあえず当てがあるわけでもないのでフラフラと彷徨ってみることにする。
 こういうときはブラブラしてみた方が案外面白いものが見つかるものだ。
 とは言ってもお城にやっかいになってる上に無職の僕にそう自由にできるお金があるわけでもなく。今手元にあるお金はレスティアさんが国からの補助金ですと言って渡してくれたものの一部だ。遊ぶのには十分なお金であるが、先のことを考えていくとあまり使いたくはない。これから先何かと入り用になるだろうし、慎重に何に使うか考えないと。
「かと言って何も買わないなんて言うのは面白くないしなあ」
 というか店ありすぎ。しかもどれもこれも違う店ばっかりだし。
 子供向けのお面や細工飴から大人向けの射的やクジに全く見たことのない露店に、僕にはさっぱり意味の分からないものまで本当に無数の屋台がある。
「さて、どれにしたものか」
 考えに考えているといつの間にか随分と歩いていた。一応、地図はもらってあるし、道も複雑なものではないので迷うことはないが、これだけ歩いてもまだ初めて見る屋台ばかりだ。
「やばい種類がありすぎて全く決められない……」
 もうかれこれ1時間くらい歩いた気がする。いい加減そろそろ決めたいところだ。
「ッと」
「おわッ!」
 屋台ばかり見ていたら何かとぶつかった。
「何をしておる!しっかり前を見て歩かぬかッ!」
「あ、ごめんなさい」
 と、足下に目を向ける。左右にばかり目を向けていたからどうやらおばあちゃんにでもぶつかったらしい。
「すいません、立てますか――」
 差し出した手が止まった。
「こ、子供!?」
 そう子供だ。どっからどう見ても子供だ。どれだけ背伸びしてもせいぜい僕の腰くらいまでにしか届かないだろう。
「む、誰が子供じゃッ!ほれ、何をしておる!さっさと手を貸さぬかッ!」
「あ、ああ、ゴメン」
 まあ僕が悪いんだし、大人しく手を貸す。それにしてもえらく爺臭い話し方をする女の子だな。見た目はちっちゃくて可愛いらしいのに。
 白くて長い髪に丸っこい顔。顔のパーツはどれも未発達ながら将来美人になるだろうことが手に取るように分かる。服装が何故か本で見たアイヌと韓国の民族衣装を足して二で割ったような感じで、一言で言うと外国版雪ん子みたいな感じ。
「全く何じゃお主。しっかりと前を見て歩かぬか!子供じゃあるまいし!」
「はあ……」
 いやそれを子供に言われても。
「ん、ちょっと待てよ、お主……」
 考え込む雪ん子少女。それにしても考え込む仕草も爺臭い。
「なるほどの。お主がそうか、ふむふむ」
 何なんだこの子は。全く意味が分からん。
「じゃあ、ゴメンね。僕はこれで」
 関わるとろくな事がないような気がするのでさっさとどこかへ行くことにする。いや、まあ行く当てなんて無いけど。
「まあ、待たぬかお主」
「何だい、お嬢ちゃん?」
 うわ、何か凄く嫌な予感がする。
「わらわは決めたぞ」
「何をかな?」
 もうセリフも棒読みだ。
「わらわはお主と回ることにするぞ」
「は!?」
「だからわらわはお主と回ると言うておるのじゃ」
「何でデスカ?」
 何でそうなるんだ?
「お主が気に入ったからじゃ」
 ソレハドウモアリガトウ。
「僕なんかと回るよりも友達と回ったらどうだい?」
 とりあえずそっちの方が彼女にとっても楽しいはずだ。まあ僕は……正直微妙な心境だな。好かれるのは嬉しいけど。子連れで祭りを回るのはちょっと………
「友達じゃと?安心せい、そんなものはおらぬッ!」
 何ッ!イジメにでもあってるのかこの子は?ていうか「安心せい」て逆に心配になりますよ?
「ほれ、さっさと行くぞ。歩けぃ、ツバメ!」
「はいはい」
 そう言った少女はいつの間にか僕の首に跨っている。
 て、どこに乗ってるんですか、この子は。ていうかいつの間に乗ったんですか?
「何で僕が君を肩車してるんだ?」
「気にするな。わらわは軽かろう?」
「まあ確かに軽いけど」
 何かさっきから凄い周囲からの視線を感じるんですけど。いや、その周りの視線を確認するほどの勇気は僕には無いですけどね。
「なら、問題あるまい?ほれ、さっさと歩くのじゃ」
 雪ん子少女が僕の頭をペシペシ叩く。
「分かった。分かったから、そんなに頭をペチペチ叩くなよ」
 しょうがない、こうなったらこの子に付き合ってあげるか。
「よしツバメ、まずはあの店に行くのじゃッ!」
「はいはい」
 僕は少女の示す方向に足を伸ばそうとする。
 あれ?
 そういえば――
 僕この子に名前教えたっけ?
 ふと思った疑問。
 でもそれは僕の頭からゴツッという音と一緒に吹っ飛んだ。
「ッ痛ぁ」
「何をしておる!足が止まっておるぞ!」
「あ〜、悪かったよ」
 そして僕はため息と共に足を再び動かした。

「し、しんど」
 僕は両手に担いでいた荷物を堪えきれずに下ろした。
「何じゃお主だらしないのぉ」
「ほっとけ」
 良いね、君は僕の肩に乗っかってただ食べてただけだもんね。そら楽だろうさ。
 僕はひどく大変だった。とりあえず明日はきっと筋肉痛だ。
 少女に連れ回されて屋台を巡るのは正直なところ楽しかった。
 だって何か知らないけどみんなタダで僕等に商品くれたから。
 最初に少女が向かった(正しくは僕が彼女を肩車して向かわされた)屋台はクレープみたいな食べ物のお店だった。但し僕等の世界にあったクレープとは異なり、そこの店ではサラダクレープみたいな物が主流だった。生地も甘い物ではなく、どっちかっていうとタコスとかあんな感じの生地に近い味で、味の方も問題なく美味しくて地球でやったらきっとはやるだろう味だと思う。
 次の屋台は丸っこい一口サイズのドーナツみたいな食べ物のお店だった。中にはチョコレートソースが包んであって、程良い甘みが口に広がりチョコレートの後味も良く美味しかった。しかも凄く美味しいって言ったらお土産までもらったし。
 というようなことがかれこれ三時間ほど続いたわけですが――
 その結果がこれだ。
 大きな紙袋が二つに、植物の蔓を編んで作られた手提げ鞄が八つ。中身はお菓子から子供用の簡単なおもちゃまでそれはもう様々だ。大体半分ほどが僕の何だけど、こんなにたくさんどうやって処理するか心配になってくる。特に食べ物は日持ちしない物がほとんどなので二、三日の内に全部食べてしまわないといけない。既に頭の中ではお姫様達にいくつか食べてもらおうと考えてたりもする。
 そしてこの少女は一体何者なんだろうか?
 最初は彼女のペースに促されるままに引っ張り回されていたが、それに慣れてくると疑問に思えることが出てきた。
 まず、なぜこうも屋台の商品が全部タダになっているかということだ。よくよく考えてみなくてもこれは非常におかしい。例え彼女がどれだけ凄い権力者であったとしてもこれはあり得ないことなのだ。
 なぜなら――
 僕の知っているこの国の無名王女でさえ屋台にはお金を払っていたからだ。それはこの国が王家と民の敷居を低くするための方針であるし、僕はその光景をしっかりと目にしている。
 そして次に周囲の視線がおかしい。最初、僕は周囲の視線が兄弟の微笑ましい光景を眺めるようなものだと思っていたんだけど、それはどうやら違うようだ。視線は僕等を見るものじゃなくて、主に僕に向けられたものだった。その内に込められたものは主に祝福や羨望。お年寄りの中には僕の前に立ち止まって手を合わせる人までいた。全く意味が分からん。
 あと思い出した疑問として、やっぱり僕はこの少女に名前を教えていない。通りすがりに僕とお姫様達の会話を聞いていて名前が分かったのかもしれないが、僕の記憶にはこの子がいたような記憶は少なくともない。完全に確証の持てるものじゃないけど、僕は絵のスケッチのために瞬間記憶能力の訓練をしたことがあるからこれには結構な自信がある。
 瞬間記憶能力は時間がないときのスケッチに役立つ。一瞬でその光景を記憶し、別の場所に移動した後でもそれを絵に描くことが出来るこの能力は人見知りの激しい僕には大変役に立つ能力だ。
 僕だとせいぜいちゃんと覚えておくのは一〇分程度が限界だが、イギリスだかヨーロッパのどこかには三十分くらい複雑の町中の光景を覚えておける人もいるらしい。
 で、僕のその多少頼りない能力を駆使してみてもこの少女のような目立つ女の子は見た記憶がない。
 この子は一体何者何だろう?
「そろそろ時間じゃの」
「何のだよ?」
 僕の体はまだグッタリと重い。口の悪さが明らかにハッタリだと言うことが悲しいくらいに良く分かる。
「仕事じゃ。ほれ、シャキッとせぬかツバメ。荷物を持て」
 なんて人使いの荒いガキンチョだ。もう少しお年寄りを労りたまえ。
「後、五分、待て。まだ、無理だ」
「何を軟弱なことを言っておる。立てッ!立つのじゃッ!」
 そしていつの間にかもう指定席となってしまった僕の肩に跨る彼女。何か泣きたくなってきた。
「ほれ、気合いじゃ。気合いを入れんかッ!」
 分かった。分かったから頭をペチペチ叩くのを止めて下さい。
「しょうがないなあ」
 「どっこいしょ」と勢いを付けて立ち上がる。僕ももう年だな。
 まだ一九だけど……
「良し、では行くのじゃッ!」
「どこにだ」
「決まっておろう中央広場じゃ」
「はいはい」
 目的地を中央広場に定め、僕の苦労はまだしばらく続くらしい。

 中央広場。
 そこは今日の月神祭のメインイベントの一つが行われる大事な場所。メインイベントが行われると言っても、そこにあるのは三六〇度を見渡すことが出来る小さな舞台が一つあるだけで、町中よりも少し多めの飾り付けがされてある意外はそんなに他の場所の様子と変わらない。それでもその広さはビックリするほどに広くかなりの人が入ることが出来る。
「姫様全ての準備が整いました。いつでも始められます」
「ご苦労様です」
「姫様〜♪時間のほうもそろそろ宜しいですよ〜♪」
「ありがとうございます。レスティア」
 カミネにレスティアそして無名王女がここにいた。
 お姫様はすっかりと着替えを済ませ、先ほどまでの青いノースリーブのワンピースから今は質素ながらもレースのたくさん付いた落ち着いた感じのドレスに着替えている。
「あとはヘリオルからの連絡待ちになりますね〜♪オーブの設置が全て終わり次第すぐに兵を飛ばしてくれるそうです〜♪」
「分かりました」
 レスティアが忘れてたと言うようにその一言を付け加える。
 しかし実際のところはこの後から付けられた言葉の方が重要だったりする。それはこの広場には早くに来なければ行けないものの彼女たちにやらなければいけないことがほとんど無いからだ。
 現に彼女がここに来てからしたことは大人しく各々から準備の報告を聞いただけ。
 そしてその傍ら彼女の心中では彼のことが考えられていた。
 河渡燕。
 異世界から来た青年。
 一人で回ってみてはどうかと勧めたのは自分だがやはり心配だ。知らない場所に一人というのは実に心細いと思う。それにいくらニフラが平和だと言ってもそれは他国に比べればの話しだ。全く犯罪が無いわけではない。
 国の至る所に衛兵達が見回りも兼ねて回ってはいるがそれでも心配だ。
 毎月喧噪だって起きるし、怪我をする子供も出る。
 完全に安全であるとは言えないのだ。
(どうしましょう、もしツバメ様が怪我でもしてらしたら……それに集合時間だってお祭りを回ってれば分かると言ってしまいましたけど、もし分からなかったらどうしましょう……)
 考え出したらキリがない。
 もっとも誰よりもその彼に一番心配されているのが当の本人だとは彼女も気付いてはいないだろうが。
 お姫様の心中穏やかでないのをよそに広場に一人の兵士が駆け込んでくる。レスティアさんに耳打ちし、「は〜い♪ご苦労様でした〜♪」の言葉を受けて真っ赤になりながら頭を下げて去っていく。
「姫様〜♪全ての準備が整ったそうです〜♪」
「あ、はい。ご苦労様です」
 現実に引き戻されたお姫様はレスティアさんからオーブを受け取る。
 青紫色の綺麗な水晶だ。
「では始めましょうか」
 そう言うと彼女はオーブに向かって声を発した。

「みなさんこんにちわ。月神祭は楽しんでいますか?無名王女です」
 中央広場に向かう途中、周囲から歓声が上がる。彼女の声だ。
「何だ、この声?何でお姫様の声が聞こえるんだ?」
 スピーカーのように響くお姫様の声に絶賛無料御奉仕中の僕は戸惑った。
「お主、ほんとに何も知らんのじゃな」
 僕の肩に乗っている少女が呆れたように言う。
「あれを見るのじゃ」
 少女が示した先にあるのは家の壁に設置された青いオーブ。
「あっちも見るのじゃ、あとそっちもじゃ」
 示されるままに見ていくと、そこにもあっちにも青いオーブが家の壁にある鉄枠から吊り下げられている。それは一定の間隔で間を空けて各家に吊り下げられてあった。
「あの青い石がなんかあるのか?」
「お主ほんとにアホなのか?」
 む、何かとむかつくガキンチョだ。人の肩に乗ってるくせに何と生意気な。
「まあ、良い。まだお主には理解しがたい物なのかもしれんな。魔力についてもう少し学んでおくのじゃぞ。今回はわらわが特別に講義してしんぜよう」
 殴りたい。とっても殴りたいけど、我慢だ……我慢するんだ河渡燕。
「あれはシェアーオーブと言ってな、魔力を共有し、拡散させるオーブじゃ」
 適当に説明されるのかと思ったら何か本格的だな。ほんとに何者だこの子?
「その中心に埋め込まれておる魔石が大変貴重な物での、同じ塊から砕かれた欠片は魔力を共有することができるのじゃ。その欠片が魔力の共有を担当し、それを囲むオーブの部分が魔力の拡散の役目を負うておる」
「なるほど、でそれがどうなってるんだ?」
 いきなりそんなこと言われても、とりあえず凄いということくらいしか分からん。
「お主、頭の方はそんなによろしくないようじゃな」
「ほっとけ」
 美大生に魔力の知識を求られても困る。
「しょうがないのう。良いか?今回、使用している場合の魔力は声を媒体とされておる。つまり魔力を宿した声をまず起点となるオーブに流すわけじゃ。ここまでは良いかの?」
「ふむ」
「するとじゃ、その声は魔力を共有できる欠片全部に送られ、そしてその周りを覆うオーブによって拡散されるのじゃ。分かるか?」
「ああ、となるとそこに後は魔力でその拡散される声を大きくするように仕向ければこの状況ができあがるのか」
「うむ、その通りじゃ。やればできるではないか」
 子供に褒められて喜ぶのも何か微妙な感じがするけど、まあ理解出来たのはスッキリするな。まあ、要するにあのオーブはスピーカーなんだな。
「いや、でもそれだとこっちからの声もそのオーブが拾っちゃったりとかはしないのか?」
「たわけが。少しはさっき自分が言ったことを応用してみよ」
 そんなこと言われても僕は魔法は素人以下だからなあ。
「う〜ん」
「お主頭が良いのか悪いのかよう分からんのう」
 子どもに言われてると思うと本当に落ち込むなこれ……
「良いか?お主の言った声を拡大する魔法というのはあのオーブの表面に刻まれておる無数の模様がその役割を果たしておる。その文字をエリアル文字と言うんじゃが、そこに書かれておるエリアル文字は何も声を拡大するだけの物ではない。そこには他にもそのオーブを守るための呪文も描かれておる」
「なるほど、その中にちゃんと起点のオーブ以外の声は吸収しないように書いてあるんだ」
「うむ、その通りじゃ。まあ、一応オーブが吸収する声は魔力の帯びた物に限られているんじゃが、中にはそれを知って悪さをするような者が現れるかもしれんし、何より天然の魔術師がいる可能性もあるからの」
「天然の魔術師?」
 また何か分かりにくい表現をするなあ、この子。
「簡単に言うと生まれついて魔力の高い者じゃ。一応そういう者が出た場合に対処できるように国家魔術師が管理してはいるがの。それでも検査漏れの可能性が無いとは言えぬからの。まあやるに越したことはないと言う事じゃ」
「確かにね」
 それにしても頭の良い子だな。もしかしてあれか?この子はお姫様の言ってた上流院とかいうのの生徒なんじゃないだろうか?それなら凄く頭が良いのも友達がいないのも納得いく。この国ならきっと飛び級だってあるだろうし。
「開始は今から一五分後になります。皆さん是非ご参加を。楽しみにしてますね」
 何か難しい話しをしてる間にお姫様の放送が終わってしまった。
「しまった。話し込んでる内に話し終わったぞ」
「安心せい。どこでやるのかは分かっておる」
「ん、そうなのか。助かるよ」
「場所はわしらが向かおうとしていた中央広場じゃ。ほれ分かったらさっさと向かわぬか」
「んなこと言われても僕はその場所を知らないんだよ」
 実はさっきも中央広場に向かおうとしたものの当てなく歩いてたのは秘密ね、秘密。
「そこも安心して良いぞ。この人の流れについて行けば良い」
 少女が言うとおり人の流れが緩慢なものから少し急ぎ足の早い流れになっている。
「この国のほとんどの者達が中央広場に向かうはずじゃ」
「マジで?」
「当たり前じゃ」
 こんなにたくさんの人はいるのかその中央広場に。
「月神祭の昼の部一大イベントに無名王女だけでなく、女王陛下まで出てくるからの。みなあやつら見たさに集まるのじゃよ」
「凄いな」
 凄いのはそのイベントのだけではなく、ニフラ様とお姫様というブランドもだ。この国の民がどれだけ彼女らを慕っているかが良く分かる。
「ほれ、分かったらさっさと行くのじゃ。いつまでもこんな所に立ち止まるな。通行の邪魔になるぞ」
「ああ、はいはい。それじゃあ行きますかね」
 疲れた体に鞭打って僕は再度荷物を抱え込む。
 …………僕はまだこれ抱えるのか。
「まあ、がんばれツバメ。とりあえず中央広場に辿り着けば今まで場所も知らずに彷徨っていたことは許してやろうぞ」
 う、バレてる……
「はあ、しょうがないか」
「うむ、精進せいよ」
 一路再び中央広場へ。

 祭りだ。
 うるさい。
 邪魔なゴミどもがたくさんいる。
 平和なんだそうだ。この国は。
 つまらない。
 おもしろくない。
 もっと刺激を。
 もっと快感を。
 そうだ。
 この国には血が足らない。
 もっと血を流せばいい。
 この国が赤くなるくらいに。
 そうだ、そうしよう。
 この国を赤くしてみよう。
 そうだなまずはあそこを赤くしてみよう。
 あの白くて綺麗な城を――

「ほれ見よッ!お主がちんたら歩いておるから遅くなってしまったではないかッ!」
「やかましいッ!それに遅くはなったが、ちゃんと間に合っただろッ!」
 ゼイゼイ息を切らしながら反論する僕。ちょっとは鍛えた方が良いかもしれない。レスティアさん辺りにでも頼んでみようか。何かメチャメチャしごかれそうだけど。いや、でもカミネとかオーケンとかに頼むよりはよっぽどマシな気がする。あの二人に頼むと何かボロボロになりそうだ。特にカミネ。今度は確実に殺される気がする。
「全くしょうがないのう。まあ、良い一応時間通りに間に合ったことだし、勘弁してやろうぞ」
 このガキンチョ、人にずっと乗かってただけのくせに。
「ほれ、中央まで進むのじゃ」
「それはこの目の前の光景を見て言ってるのか?」
「当たり前じゃ」
 目の前に広がる光景。
 それは三六〇度どこを向いても人、人、人。気持ち悪いくらい人しかいない。というかこの位置まで何とか進めただけでも凄いと僕は自分で自分を褒めたくらいだ。
「無理だろ、どう考えても」
「そこを何とかしてみせぃ」
「無茶を言うな。無茶を」
 こんな人混みを無理矢理この大荷物抱えて進んでみろ、絶対に袋だたきにされる。賭けても良い。まあ、僕に賭けられる物とか何も無いけど。
「全く、だらしないのぅ。もっと精進せぃ」
 そう言って少女は僕の頭をペチンと一回叩くとかなりはた迷惑な行動に出た。
「ぬしら、済まぬがわらわ達を通してくれぬか」
「はい!?」
 何を言ってるんですか、この子は?
「そんなの無理に決まってるだろうに」
「お主は黙って見ておれ」
 一蹴されましたよ、おい。
 まあ子供が常識学ぶのに丁度良いか。と思って見守ることにする僕。
 すると――
「ああ、はい。どうぞ、どうぞ」
 少女に声を掛けられたおばちゃんがあっさりと道を空けてくれた。
 そして道を空けてくれたのはそのおばちゃんだけじゃなかった。僕等、いや正しくは僕の肩に乗かっているこの少女の姿を見ると目の前の人の壁はすっと真っ二つに割れた。
「何でッ!?」
「やかましいッ!早う進まんか。邪魔になってしょうがなかろう?」
 お前が言うな。お前が。
 ブツクサ言いながらも道を空けてくれた人にペコペコ頭を下げながら進む僕。何か本当に良い足として使われてるな僕。
 長い、長い人の壁に挟まれた道。抜けるのに二分くらいかかったんじゃないだろうか。それくらい中央広場には人がたくさんいて、改めてこの国の凄さを知った。
 そしてようやく僕等はその道を抜けた。
「結局一番前まで来ちゃったけど、良いのかこれで?」
「もちろんじゃ。わらわがここまで来ぬとこの儀式は始まらぬぞ?」
「なんでだよ?」
 雪ん子のまたしても意味の分からん言葉に僕はその思考が飛んだ。
「あ、ツバメ様じゃないですか」
「ん、お姫様ここにいたのか」
「はい」
 嬉しそうに笑うお姫様。僕も何かホッとするよ。とりあえずこれで解放されるような気がしてならないよ。本当に。
「それにしても今月はツバメ様になったんですね。おめでとうございます」
「はい?」
 この状況のどこをどう見ればおめでたく見えるんだろうか?
 どこのバーゲンに行ったのかと僕自身が訪ねたくなるような荷物。肩に乗っかる雪ん子少女のお守り。果たしてこれが本当におめでたいのだろうか?
「久しぶりじゃの無名王女」
「はい、オミリア様。お久しぶりです」
 何だ?この二人は知り合いなのか?でもその割にはオミリアと呼ばれた少女が威厳保ちすぎな気がする。お姫様は誰にでもこんな感じだけど。
「それにしてもお主、こやつにわらわのことを教えてないのではあるまいか?あまりにも態度で丸分かりじゃったぞ」
「あら、そう言えば誰も教えてませんでしたっけ?」
「僕は誰にも聞いてないと思うよ」
 多分こんな特徴的な子は聞けば忘れないと思う。
「私も教えた記憶はありませんね〜♪てっきり、姫様かヘリオル辺りが教えてると思ってましたから〜♪」
「私が貴様に何の話しをする必要があるというんだ?」
 何か最後に冷たい言葉が聞こえた気がするけど……まあそこは流していこう。うん。きっと反論したら彼女はカトラス抜いてくるだろうし。
「やはりの。まあ、良い。久々に新鮮な感覚と反応を味合わせてもろうた。それでチャラとしてやろう」
「やっぱりむかつくガキンチョだな。頭ぶん殴ってやろうか………」
 ボソッとつぶやいたのがどうやら聞こえたらしく。
「あわわ、ダメですよツバメ様。そんな罰当たりな事を」
「罰当たりって、どこが?ダメだよお姫様こういう子にはちゃんと叱ってあげないと」
 とりあえず首根っこひっ掴んでやる。
「だからダメですってばツバメ様」
 僕がソロッと伸ばした腕にお姫様が慌てて巻きついてくる。
「最初にお会いしたときにお話ししたじゃないですかッ!神様がいらっしゃるって」
 そう言えばそんな話しを聞いた気もする。
「でもあれは冗談だろ?」
 もちろん僕は完全に冗談だと信じて病まなかったわけだけど。
「冗談なんかじゃありませんよ。こちらのオミリア様がその神様なんです」
「は!?」
 僕とオミリアの視線が合う。
 得意そうに胸を張るオミリア。口にはリンゴ飴が銜えられている。もちろんタダでもらった物だ。
「このちんちくりんが?」
「誰がちんちくりんじゃ!」
「ッ痛ぇ!」
 オミリアがムッとして僕のスネを蹴っ飛ばしてきた。神様なんだからもう少し神様っぽく仕返ししろよ……
「全く、折角わらわが一緒に回ってやったというのに、もっと感謝せぬか」
「それはこっちのセリフだ……」
 蹴られたスネを押さえながらの必死の反論。痛すぎて今の僕にはこれが精一杯だ。絶対アザになるぞこれ。
「まだ気付いておらぬのか、お主?」
「何がだよ!」
 はたはた呆れた顔のオミリア様(一応様付けしてみる。だって、神様らしいし)にようやく痛みの引いてきたスネをさすりながらも立ち上がる僕。さっきまで抱えていた荷物はありがたいことにいつの間にか衛兵さんが別の場所に持って行ってくれた。
 そしてオミリア様はしっかりと僕と自分の分を指示して分けさせていたようだ。しかもちゃっかり僕の分にいくつか着服してるし。なかなか抜け目ない神様だ。
「今日の祭り、お主が楽しめたのはわらわのおかげぞ?」
「あれでか?」
「当たり前じゃ」
 さあ感謝しろと言わんばかりに胸を張るオミリア。そんなことされても僕にはどうにも思い当たる節が出てこない。どうしたものか……
 あれだね。こういうときのお姫様。困ったときの姫頼み。お願い、助けてお姫様。
 オミリア様に気付かれないようにヘルプの視線を送る。気付かれてもう一回スネ蹴飛ばされるの嫌だし、彼女ならきっと気付いてくれるに違いない。
「あのですね、ツバメ様」
 良し、気付いてくれた。ありがとうお姫様。
「今日オミリア様とお祭りを回った時、屋台の商品が全てお金を払わずに貰えましたよね?」
「ああ、うん」
 確かにそれは僕も最初は不思議に思ってたんだ。後半はあまりにも色々ありすぎて綺麗さっぱりと忘れてたけど。
「あれはオミリア様のおかげなんですよ。何と言ってもオミリア様は神様ですから。それにオミリア様に訪れて頂いたお店のお家は来月家族全員が無事に過ごせると言われててとてもありがたいことなんですよ」
「なるほど、だからみんな喜んでくれてたのか」
「そしてツバメ様も」
「俺も?」
「はい」
「何で?」
 オミリア様が喜ばれるのは分かるけど、別に僕はなくても良いだろう。
「それはですね、オミリア様が屋台を回る前に月人を選ぶからです。ツバメ様はその月人に選ばれたんですよ」
「それはめでたいのかな?」
 僕にはどうにもただの荷物持ち、お世話係ですとしか思えないんですけど。音的にも僕には『付き人』と聞こえてならない訳で……
「もちろんです」
 拳をグッと握って応えるお姫様。
「良いですか?月人ですよ。月人。次の月の精霊様を宿す人に選ばれたんですよ?とっても素晴らしいことです」
「そ、そうなのか」
「そうなんです」
 まあ、あれか僕等の世界で言う年男とか福娘みたいな感じなんだろうきっと。
「月人に選ばれたツバメ様もオミリア様と同じですよ。ツバメ様が訪れたお店にも御利益があるんですよ」
 そんな大層な御利益は僕を拝んでも得られないと思うんだけどなあ。
「まあそれほど難しく考えんでも良いぞ。せいぜい次の月のラッキーボーイに選ばれたとでも思って気楽にやれば良い。特に難しい仕事をせねばならぬ訳でもないしのう」
「なるほどね。まあ、それならありがたく頂戴しときますか。結局何だかんだ言っても結構楽しかったしね。ありがとうございます」
「うむ、苦しゅう無いぞ。もっとわらわに感謝せい」
「はは」
 まあこの子のおかげで色んな物を見たり、味わったり出来たんだしやっぱりその辺は感謝かな。疲れたけど、楽しくない訳じゃ無かったしね。
「さて、それじゃあさっさと始めてしまおうかのう。無名王女?」
「はい、そうですね。皆さんを待たせすぎるのも申し訳ないですしね」
 それもそうだ。僕のせいで結構な時間を無駄にしてしまってるしね。
 お姫様がオミリア様にシェアオーブを渡す。広場の空気が一瞬にして静まり、誰もがその光景を固唾を呑んで、しかしそれでいて穏やかに見守っている。
「うむ、皆の者、一ヶ月ぶりじゃの。元気そうで何よりじゃ。またこうして平和の中で主らの顔を見れたことを幸せに思うぞ。この月もいくつかの命が散り、また新たなる命が生まれておる。全ての民が散り、生まれた生命のために精一杯の努めを果たすことを楽しみにしておるぞ」
 なるほど、こうやって見るとかの少女はやはり様付けで呼ぶのにふさわしいと感じる。全てが自分の子であるような慈愛と喜びを感じる。
 やはり彼女は本物の神様なのか。
「では、皆で今月生まれた新たな生命に祝福を与えようぞ」
 オーブがオミリア様からお姫様に渡される。
「今月の新たなる命の灯火よ前へ」
 お姫様の綺麗な呼び声と共に生まれたばかりの赤ん坊を抱えた夫婦が人の群れより進み出てくる。数は結構多く、ざっと四、五十と言ったところだろうか。多分この人達はニフラの国中からここに集まって来たんじゃないだろうか?ヘリオルの話しによるとこの祭りのために無料の馬車が出てるらしいし、この国の体制からするとこのイベントの主役とも言えるこういった出産したての夫婦は優先して乗れそうだ。
「この汐の月に生まれし新たなる命達よ。汝らにこの土地の祝福を、わらわの願いを。強く清く、そして優しく生きよ」
 その時奇跡が起こった。
 オミリア様の最後の言葉と共に彼女の腕より解き放たれる優しい光の帯。
 それは無数に日の光の中を泳ぎ、生まれたばかりの儚い灯火に巻き付き、包み込んでいく。日中にあっても淡く光るその帯は幼子達に触れるとゆっくり、ゆっくりと彼等に馴染ませるようにしてその中に沈んでいく。
 僕が今まで見た絵の中で最も綺麗な光景。
 どんなグラディエーションもシンメトリーもこの光景の前では散って消え去ってしまうほどに脆く、無意味な物に感じられてしまう。
 神秘とか神業とかじゃなくて、まさに本当の奇跡。
 それを起こすのが神――オミリア。
 淡い光が幼子達の中に完全に沈み込む。それは少し物寂しく、もっと見ていたい衝動に駆られる。でも更に強く感じる安堵感。
 何者にも勝る穏やかな気持ち。
「主らにこの一年の生を約束しよう」
 それがこの儀式の終わりの言葉。
 周囲から巻き起こる歓声と祝福。
 全ての人たちが手を鳴らし、この新しい命を迎え入れた。

 夜空に咲き乱れる色とりどりの花。
 月神祭は花火に始まり花火に終わる。
 夜色のキャンパスの上に描かれる花の下で僕たちはその終わりを祝っている。
「今日は楽しかったですか?」
 差し出されたのはアッキスの絞りてのジュース。もちろん果汁一〇〇%。
「もちろん、凄く楽しかったよ」
 「ありがとう」と礼を言って受け取り、軽く喉に流し込む。もの凄く疲れたけど、それ以上に感じる満足感。
 中央広場で焚かれる巨大な篝火。多くの人がここに集い、歌い、踊る。杯を交わし、笑い、今日という日の去ることを悲しむ。
 素晴らしい一日だった。
 最初はさんざんだと感じたけど、昼間の祝福の儀で全部がチャラ。どころかお釣りだってもらった感じ。
 あれは凄かった。
 『凄い』なんていう言葉で表すことが勿体なく、申し訳ないくらいに凄かった。まだ目に焼き付いて離れない。沸き上がるインスピレーションと衝動。今すぐにでも筆を握りたくなる。
「本物の神様に会って、凄く驚いたけど。それでも良かったと思う。色んな人を見て、話して、出会えて。そのことが本当に良かったと思えたよ」
「そうですか」
 彼女は僕の隣に腰掛け、只静かに僕の言葉を聞いてくれる。
「でも、ちょっと怖いかな」
「怖い、ですか?」
「うん」
 こんな事を思うのはきっと僕だけなんだろう。異世界人の僕だから感じる思い。
「この世界はあまりにも優しすぎて、綺麗で、本当に理想だらけの世界だから。これが本当は夢で今すぐにでも目が覚めて僕を元の世界に連れて行ってしまうんじゃないかなって。それが、少し怖いかな」
 僕は本当はここにいないはずの存在だ。
 だから僕はいつかここを去らなければならない。
 そんな気がする。
「でも――」
 花火はまだ上がり続けている。聞いたところだとまだあと一時間以上は続くらしい。僕もあの花火と似たようなものなのかもしれない。
「ツバメ様は今私の前にいます」
 このお姫様は強い。
 自分の名前が無いのに。それに不安を感じないのだろうか?
 いや、感じていないことは無いだろう。
 きっと。
 彼女も生きているんだから。
 皆にあって自分だけにない。それが不安にならないわけがない。
「私はずっとこの世界に生きてきました。そしてその私の前に今ツバメ様はいらっしゃるんですよ?大丈夫です。きっと大丈夫です。私が、います」
「ありがとう」
 何が大丈夫とか、そんなことは今はどうでも良かった。本当に彼女がいれば大丈夫な気がしたからだ。確かに今僕はここにいて、この世界を生きている。
 それは違わない。
 僕は今ここにいる。
 それからは特に目立つような会話はしなかった。今日のいろんなことをお互いに話して、笑って、只それだけ。
「姫様〜♪少しお時間の方よろしいですか〜?」
「あ、はい」
 レスティアさんの声がする。まあ、ずっとここにいるわけにもいかないか。
「それではちょっと行ってきますね」
「うん」
 いつの間にか触れて、繋いでいた手。それを放すのが少し寂しい。
「お姫様」
「はい?」
 その一瞬でも長く触れる。そのための理由かもしれない。
「ありがとう」
「はい」
 そこに優しい笑顔があった。

「ふむ、ここにおったのか」
 特に何もするわけでもなく篝火を眺めていると雪ん子のような格好の少女がアンバランスにも酒瓶をもって現れた。オミリアだ。
「何か用かな、オミリア様?みんなからの持て成しはもう良いのか?」
 確か彼女は集まった民全員から振舞酒されていたはずだが。
「うむ、あれならもう全部片付けてきたわい」
 早いな。確か軽く二、三百人いたと思うんだけど。
「わらわにとっては赤子の手を捻るようなものじゃ」
 それは結構なお手前で。
「でも、良いのか?こんな所で油売ってて。一応、神様だろ?」
「もう、わらわの仕事は終わったのじゃよ。ニフラとも杯はゆっくりと交わしたしの。まあとりあえずお主も飲んでおけ。特別に妾が注いでやろうぞ。上物の葡萄酒じゃ」
 僕の了承も無しに彼女はトクトクと葡萄酒を僕のカップに注いでくる。まだアッキスのジュースが少し残ってるんだけど。
「僕まだ一九なんだけど?」
「この国での飲酒は一八から許されておる」
 それならまあ良いか。僕はチビチビと初めてのお酒を飲んでみる。まさか初飲酒が異世界になるとは。
「どうじゃ?美味かろう?」
「思ったよりは、いけるかな?」
 でもそれほど多くは飲めそうにない。味よりもアルコールがすぐに回ってきそうだ。味は好きな方なんだけどね。
「で、僕の所に来たって事は、何かありがたい助言でも貰えるのかな?」
「まあ、そんな所じゃ」
 冗談交じりの僕が言ったことが当たってしまうのか。まあ、貰える物は貰いますけどね。一応ありがたいものだし。
「お主はこの世界におけるイレギュラーじゃ」
「それはそうだろうね。僕この世界の人間じゃないし」
「だからわらわの力がお主を守ることは出来ぬし、お主が元の世界に戻れるかどうかについても助言は出来ぬ」
 突き放す言葉。だけどそれを口にする彼女の顔も痛々しい。自分が何も出来ないことを悔やんでくれているのかもしれない。
「しかし予言はしよう。この国のために。わらわの子供らのために」
 それはこの神様に出来る精一杯の事なんだろう。
「明日に気を付けよ。明日に歪みが発生する」
「明日?」
「うむ、お主にはあまり関係のないことかもしれぬ。しかしあやつには、無名王女には酷な出来事になるかもしれん」
 それは――
「何で僕にそれを言うんだ?」
「あやつには酷な運命を背負わせてしまっておる。この国という大きな命のためにの」
 僕に言うべき事なんだろうか?
 もっと他にレスティアさんとかカミネとか、彼女たちに言ってしまえば全てが丸く収まるのに。
「お主に話すのが一番良いと思ったのじゃ」
「僕は何も出来ないんだぞ?」
「知っておる。しかしそのお主に無名王女は心を開いておる。お主が傍におれば、何か変わるかもしれぬ。それにわらわはこの国の者に助言をすることは出来ぬのじゃ」
 オミリアが瓶に自らのグラスに残っていた葡萄酒を一気に煽り、立ち上がった。
 勢いに白い髪が踊り、その白が篝火を背景に映える。
「それがわらわに課せられた法。わらわは幼子の生を一年守ることしか出来ぬ。ただこの国を見守るだけじゃ」
 それはいけないことなのだろうか?新たな命を守り、見守ることが。
「それだけでも凄いさ。あんまり何でもかんでも守ってあげても、それじゃ狭苦しいだけだよ。きっと」
「そうかの?」
「多分ね」
 絶対とは言えない。僕にはお姫様のような心を見る力はないから。
 でもきっとこの国に何があってもレスティアさんやカミネ達が必死になって守るだろう。この国はそういう国だ。
「僕に何が出来るか分からないけど、とりあえず頑張ってみるよ。僕なりにね」
「うむ、頼んだぞ」
「頼まれました」
 僕もカップの中の残りを一気に飲み干す。慣れないことを口にすると喉が渇く。
「ではわらわはそろそろ帰るとするかのう」
「帰るって、家があるのか?」
「うむ、わらわが外に出てこれるのは年に十数回じゃからの。また、一ヶ月後に会おうぞ。主がこの世界にいればの話しじゃがの」
「それは保証できないな」
「そうじゃの」
 どういう顔をしたらいいのか分からず苦笑いする。またこの祭りを見たいとは思うが、向こうにも帰らなければいけないと思う。いつかは――
「もし――」
 花火がそろそろ終わる。それは祭りの終演が近い事を意味する。
「お主の中に何か解決できぬ靄が渦巻いておるのなら、明日の出来事で何かに触れることが出来るかもしれんの。あれにはそういった靄を晴らす力がある」
 それは分かる気がする。彼女には不思議な力がある。どれだけ頑張っても身につけることが出来ないような、人を穏やかにする力が。
「行き詰まって考えが纏まらんときはとりあえず動いてみる事じゃ。案外何か良い解決策が出てくるかもしれんぞ?」
 なんて神様らしくない助言だ。
 でもそれは今の僕には立派なアドバイスだ。
「肝に銘じとくよ」
「うむ」
 最後の今までで最も大きく派手な花火が鳴り響く。
「ではの」
 何故か目線が上に向いた。不思議なほどに。
 そして気付いたときには花火は終わり、彼女はそこにいなかった。
 それは少し寂しい一時の別れで、祭りの終演。
 新しい月の、始まり。


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