V ロイヤルガード



「何者だ貴様?」
 押し殺した声に潜む殺気。
 ひんやりと喉元に添えられた一筋の感覚。それは太陽の光を煌びやかに反射させ、静かに、そして何も語ることはないと言わんばかりに微動だしない。
 僕、何か悪いことしましたっけ?
 僕が異世界スーリアに漂流して早一週間。
 早くも僕は生命の危機に瀕している。
 ニフラに流れ着いた初日のような頭痛に再悩まれることもなく、僕はこの一週間を過ごしていた。特にこれといった問題もなく、毎日ほぼ順調に(あくまでも“ほぼ”であることを主張する)ニフラの習慣や歴史なんかを学ばせてもらっている。
 今日はニフラに繁殖している一般的な植物についてヘリオルに教えてもらうことになってたんだけど。
「えっと……」
 ゴクリとノドを鳴らすことも出来ない。そんなことをすればその瞬間に赤いものが彼女のもつ刀剣を伝っていきそうだ。
「とりあえず落ち着いてこの物騒なものをもうほんの三〇センチで良いから下げてくれないかな?」
 とりあえず控えめに、刺激しないように。両手を上げてこちらに敵意がないことを示しながら頼んでみる。何か無理な気がするけど。だって目が怖いんだよ、彼女。明らかに殺気立ってるし。
「却下だ。話して良いのは私で、貴様にその権利はない」
 グッと刀剣に力が込められる。まさに首の皮が一枚で繋がってる感覚。
 この刀剣、海賊が腰に差すような形をしている。まあ、見たのはピーターパンとかの絵本だけど、たしかカトラスとか言うんだっけ?――に似ている。
 こういう危機的状況に置いて何故か冷静に分析する僕。ある意味現実逃避とも言えるけど。
「貴様、聞いているのか?」
「ああ、うん。OK」
 お願いだからそれ以上剣に力を加えないで下さい。僕の寿命が縮まるどころか一気に0になっちゃいますから。
「なら、さっさと答えろ。死んでも良いなら別だがな」
 だから力を加えないで下さい。話し合いで解決しましょうよ。
「僕は河渡ツバメ。よろしく」
「どこの国の者だ。在国許可証は持っているんだろうな?」
 僕の頬を冷や汗が伝っていくのも気にも止めず、彼女はお構いなしに質問してくる。まあ彼女もきっとこの国の重役さん何だろうけど。というかあの姫さんの話を聞いてるだけだと結構適当にしてても入国できるものだと思ってたんだけど、そうでも無かったのか。意外と入国とかの管理はしっかりしてるのかもしれない。
「死にたくなったのか貴様?」
「いやいや、まだまだ生きたいですよ、僕は」
 それにしてもどうしたものか……
 困ったことに今の僕はその在国許可証とやらをを持っていない。
 一応在国の許可とかいうのは取れているんだろうけど、あいにくながらそれを証明できる名無しのお姫様やレスティアさんとかヘリオルだったりその他ここ数日で顔見知りになったお城の人はいない。いれば即解決なんだけど。
 さてどうしたものか。
 とりあえずもうすぐそのお姫様が来るはずだからそれまで持ちこたえれば良いんだけど、かといって嘘なんか付いたらそれこそ切り捨て御免みたいな感じでバッサリいかれそうだし。本当にどうやってごまかしていこう?
「とりあえずこの物騒な物もう少し何とかならないかな?これじゃあ答えられるものにもちゃんと答えられないよ」
 まあこうやってまずは自分の身の安全から確保していかないとね。一応時間も稼げるし。まあ受理はされないんだろうけど。さっきも無理だったし。
「却下だ」
 ほら、やっぱり。
「貴様に質問の権利は無い。先刻もそう忠告したはずだ。私は何度も同じ事を言うのが好きではない。それに気も短い」
 ええ、最後の一言は分かりすぎるほどに分かってますよ。
「少しでも長く生きたければ私の質問にだけ答えろ。それ以外は認めない」
 それはつまり僕はどのみち死ぬって事何じゃ……
「では答えろ。貴様は在国許可証を持っているのか?」
「いや、持ってはないデス」
 もはやこれ以上の時間の引き延ばしは無理と判断した僕は大人しく質問に答えることにする。そりゃまあ、やっぱり少しでも長く生きたいですからね。
「そうかならば今すぐに国籍を明示した上で大人しく縄についてもらおうか」
「いや、それはちょっと……」
 思わず躊躇う僕。だって彼女に僕の世界の話しをしてもきっと信じてもらえないだろうし。下手すれば首で分けて上下に二分されかねない。
「では今すぐ死ぬんだな」
「それも困るな。それに別に答えるのは構わないんだけど〜……」
「何だ?」
 良し乗ってきた。
 心の中でガッツポーズをし、更に話を続ける。このまま少しでも寿命を延ばさなけれ、いやいや、時間を稼がなければ。きっともうあと数分でお姫さんかヘリオルの爺さんが来るはずだ。
「多分信じて貰えないと思うんだよね」
「信じる信じないは私が決める。貴様は私の質問に大人しく答えていれば良い」
 何かどこぞの独裁者みたいなセリフだな、おい。
「じゃあ聞くけど。もし僕が君の信じられないような答えを出した場合はどうなるんだ?」
「答えなければ分からないか?」
 ほらやっぱりそうなるんじゃないか。僕は断固として主張したい。暴力反対。
「良いからさっさと答えろ。斬るぞ?」
「分かったよ。その代わりちゃんと答えるんだからそのカトラスしまってくれよ?全く」
 ぶつくさ文句を垂れ流しながらゆっくりと答える。これも時間稼ぎの一つだ。
「僕は地球の日本という所から来たんだ」
「チキュウ?ニホンだと?」
「ああ」
「どこだそれは?」
 私は聞いたことがないぞという顔。そらそうだ。知ってたら僕は大いに助かるよ。
「異世界かな?多分……」
「異世界、だと?」
「ああ」
 視線が交錯する。
 考えたら今まで喉元に突きつけられたカトラスのおかげで彼女の顔すらまともに見てなかった。凝視してみて初めて気付くが結構、いやかなりの美人だ。
 年の頃は僕と同じくらいもしくは少し下くらいだろう。切れ長の眉に、鋭い目つき。藍色の髪は邪魔にならないように綺麗に肩までの長さに切り揃えられている。初見にきつめの印象を強く与えるが、もの凄く整った顔立ちをしている。向こうの世界だと仕事の出来る女。社長秘書なんかのイメージにぴったりだ。
 もっとも、実際の社長秘書はカトラスを突きつけたりはしないと思うけど。
「フフフ――」
 そしてカトラスの彼女は唐突に声を上げた。忍ぶような笑い。とりあえず依然と喉元にあるカトラスが微妙に揺れて僕は生きた心地がしない事を主張したい。
「フハハハハハハッ!」
「あはははは」
 何が面白いのか良く分からないがとりあえず一緒に笑ってみる僕。すると一瞬の間を置いてカトラスが引かれる。
「…………」
 もしかして分かってくれたのかな?
 こういう時の沈黙って何となく緊張するよね?なんかこう空気に張りを感じると言いますか。
 フッと彼女の顔に薄い笑みが浮かぶ。カトラスを軽く振り空気をならすと腰に下げた鞘に軽く擦らせる。
 うっすらと響く金属音と共に僕の中に生まれる安堵感。その時代劇のようなカトラスを収めようとする動作に僕はため息をつこうとした。
 そう、ここで大事なのはあくまでつこうとしたってこと。
 事実としてそんな暇はこれっぽっちも無かったんだから。
 彼女はカトラスの柄と鞘をカチンと鳴らすとこう言った。
「死ねェッ!」
 それと同時に目にも止まらぬ早さで振り抜かれる彼女の右手。もちろんそこにはカトラスが握られているわけで。
 そして僕の方もそれを回避しないことにはお先真っ暗だったりするんで、必死になって避ける。奇跡としか言いようのない反射神経を発揮して僕はその場を飛び退いた。まさにイッツァミラクル。
 その姿は格好悪いの一言に尽きるけど、今はそんなことより命の方が大事だ。
 ほんの一瞬前まで僕のいた場所の背後にあった腰くらいまでの高さの岩の中をまるでバターのようにすり抜けるカトラス。そのなめらかな切り口に彼女の技術の高さとカトラスの名刀ぶりが伺える。
 思わず今まで鳴らせなかったノドが鳴った。
「あ、危ないだろ!死んだらどうすんだッ!」
 言葉通り当たっても生きているなんて事は絶対に無いと思う。すっぱり二つに切り分けられて天に召されるに違いない。だって岩だって真っ二つなんだし。
「問題ない。私は殺す気で振るっている」
「余計に達悪いぞ、それ」
「黙れ。異世界などとふざけたことを抜かす貴様よりはよっぽどにましだ!大人しく我が剣のサビとなれ!」
「ふざけんなッ!」
 僕は捨てゼリフと共に脱兎の如く駆けだした。もちろん彼女もそれを追ってくる。
 運動能力の差は歴然。走り出して間もないのに息を切らせる僕に対し、彼女は軽やかにそして僕よりも遙かに早い。
 だからといって僕も大人しくサビになったりはしない。早さで負けるならその早さを使えないようにすれば良いだけのことだ。
 幸いここには乗り越えるには一苦労の岩が多い。僕はそれを利用してその間を縫うように走り抜いていく。
「チッ、ちょこまかちょこまかと!」
 僕の思惑通り彼女はグッとスピードを落とし、僕を追ってきた。でも――
「こざかしいッ!」
 その言葉と同時に彼女の刃が風を切る。
 いや、風を従えていた。
 家で窓越しに聞く台風の風のような音。気になってチラリと後方に目を向けると文字通り風が刃となって迫っていた。
 鎌鼬。
「なんだよ、それはぁッ!」
 もう既にミラクルとかそんなことを言っている場合ではない。危機感とか恐怖とかそんな物を感じるよりも早く、僕の体の中に眠る生きるための本能が目を覚ます。
 僕はこれほどまでに素早く動けたのかと後で自分が知れば驚くほどの俊敏さを発揮し、目に付いた中で最も大きく頑丈そうな岩の影に飛び込み、汚れるのも構わずに姿勢を低く低く、それこそ寝そべるのに近いくらいまで低くした。
 ギュンッ!
 きっと新幹線が一両だけならこんな音が鳴る、と思う。そんな音が頭上を通り過ぎていき、数秒して僕の髪を柔らかい風が撫でる。
 沈黙。静寂。沈黙。
 たまらず息を呑んで自分がまだ生きているということを実感。
「な、何だったんだ今のは」
 何が起きたのかさっぱり理解できてないけど、とりあえず――
 生きてるって素敵。
「フンッ、悪運の強いヤツだ」
 切れ長の目を更に鋭くして彼女が言う。
「ヘッ、何が悪運だ。結局何も起こらなかったじゃないか」
 ビックリして損したな。
 とりあえず何もなかったことが背中を押して態度にも余裕が出てきた。
 先刻まで身を潜めていた岩に寄っかかり、体重を預け――
 ズガンッ!
 ヘッ?
 何だこの音?
 何だか左に体が傾いていってる気がする。何だっけ?
 ん?岩がない。岩がないですよ。ツバメさん。さっきまであなた寄っかかってましたですのことですよね?
 下を見る。
 滑らかな切断面。本当に何で切ったらここまで綺麗に切れるんだって言うくらいに真っ二つだった。
 何がって?
 もちろん岩が。そう岩がね。
「おい」
「何だ?」
 時間の流れが一人だけ変わったかのようにカクカクと動く僕の言葉に対し、彼女は何とも意地の悪そうな声を上げる。
「これは君がやったのかな?」
「他に誰がいる?貴様も見ていたじゃないか」
 それもそうだ。確かに見てたし……
「じゃあさっきのにもし僕が巻き込まれてたら僕は死んでいたんじゃないかな?」
「殺す気で放ったのだから、当然だろう?」
 そう言った彼女のカトラスが歪んだ。いや、圧縮された風でそこだけブレて見えているんだ。
「次は外さん」
「ゲッ」
 目がマジになってる。加えて僕の目に見えているトンデモビックリのあの技。どう考えても僕は死ぬんじゃないだろうか?
「死ねッ!」
 彼女のカトラスが振り下ろされるまで後数秒、それは僕の命の残り火と同じと言える。
 もう、ダメだッ!
「すいません、ツバメ様。遅くなってしまいました」
 凛とした良く通る声が響いた。
 豪と呻いていた風がそれと同時に止み、心地良い風が駆け抜けていく。もっとも僕は手に汗を握りまくってましたが。
「た、助かった」
 乾いた笑いが口から漏れる。
 無名王女の到着だった。

 若草色のドレスの裾がそよ風に揺れる。
 彼女は生きた心地を味わう僕をあっさり放置し、名無しのお姫様に歩み寄った。いつのまにかカトラスもすっかりと腰の鞘に収められている。
「ロイヤルガード、カミネ=ハインアートただいま戻りました」
 姿勢を正し、右の手の甲を相手に見せるように顔の真横に持ってきている。その姿勢は敬礼みたいなモノなんだろう。ロイヤルガードという言葉といい、そのやりとりにはどこか儀式めいた空気が感じられる。
「はい、ご苦労様です」
 それでもかのお姫様は相変わらずな対応でそれを受けとめる。そのせいかその場面も堅苦しくはなく、どこか和んで見える。
「それにしてもなんでここにいるんですか、カミネ?伝令の方からそろそろ到着すると伺ってずっとオーケンさんと待ってたんですよ?」
 なるほど、それで来るのが遅れたのか。要するに単なる行き違いだ。
 最も僕はその単なるで命を落としかけたわけですが。
 お姫様の疑問に彼女――カミネ=ハインアートはすぐに答える。
「申し訳ありません、姫様。しかし、私もすぐに姫様のお顔を拝見しようとここまで来たのですが、何とも不審な人物を見かけたもので少しばかり尋問を行っておりました」
 当たり前だけどカミネは僕に相対したときとは一八〇度違う口調、態度でお姫様に話しかける。お互いにもの凄く嬉しそうに話す。見てるだけでも二人がしばらく会ってなかったことが見て取れる。それととても親しい仲だということも。
 それにしても、少し?尋問?
 あれで少しで、尋問なのか……
 あれが拷問で、ついでに激しいのならどんなことになるんだ?
 とりあえず気にはなるけど絶対に経験したくないことだけは確かだ。
「尋問ってツバメ様にですか?」
「はい。しかしこの者が自分は異世界から来たなどと言うものですので」
「でも本当のことだしなぁ」
「貴様、この期に及んでまだ愚辞を並べるか」
 カミネの手が再びカトラスの柄に伸ばされる。
 あんなへんてこな技次に使われたら確実に僕は細切れミンチだ。
「何とかしてくれ、お姫様」
 命を無駄にしないために早速切り札を使う。ていうかもう絶体絶命乗り越えちゃったし。だからといって、僕にさっきの経験を味わえと言うのはあまりにも酷すぎるし。
「貴様、嘘を並べるだけでなく、姫様にその口の利き方。生きてここを出られると思うなよ」
 ドスの利いた声でカトラスを抜刀。いや、この場合は抜剣になるのか?
「いや、だから嘘じゃないから」
 依然と座り込んだまま自分を弁護する僕。実はさっきので安心したら腰が抜けたとは恥ずかしくて死んでも言えない。
「切るッ!」
 僕のあっけらかんとした口調にカミネがカトラスを振り上げる。
「ああ、ダメですカミネ!」
 後ずさる僕とカミネの間に慌てて飛び込んでくるお姫様。まさにナイスタイミング。切り札と呼ぶのは忍びない。リーサルウェポンと呼ばせて下さい。いや、あんまり変わらないとかその辺は気のせいデスヨ。
「姫様はお下がり下さい。この不埒な賊は私が」
 誰が不埒で賊だ。誰が。
「だからダメですよ、カミネ。ツバメ様は賊でもないですし、嘘つきでもないです」
「しかしですね姫様、この者は異世界から来たなどと――」
「だから!」
 お姫様が必死になってカミネの右腕に巻き付いている。きっとこれがないと今頃僕は切られてるんだろうなあ。
 何とも逃げようとは思っても腰がまだ抜けたままの僕はその二人の様子を冷静に分析する。だって動けないんだし、それに変に慌てて腰が抜けてるのがしれたらお姫様の方はともかく、この短気な騎士は腹の立つ笑みを浮かべるに違いない。それだけは絶対に避けたい所だ。これでも一応僕にだってプライドがあるのだ。
「ツバメ様は本当に異世界からのお客様なんですよ」
 カミネの腕の振りがようやく止まり、お姫様は彼女の腕を解放する。どうやらかなりカミネが力を加えていたためかお姫様の息が荒い。それでも彼女はいつも通りの優しい笑みで言う。
「私が言うんだから間違いありません、よね?」
 そう、彼女に嘘は通じない。それが彼女を無名王女たらしめる力。
 心の中を見透かすことの出来る力。
 例えどんなに人を騙すのが得意な大泥棒でも彼女の前ではどんな嘘も付けないし、誰に変装しても無意味だ。彼女には心の色が見えている。正しくは見ることが出来る。
 それはある意味で絶対的な法であり、盾だ。
 人の善悪を違うことなく見定めることが出来るのだから。
 そしてそれは政治という世界における絶対的な盾となる。国のことを考えない者や悪政を行おうとする者は彼女の前では自分の真意をクリップボードに書いて掲げているようなものだ。はっきり言って丸裸よりもタチが悪い。
 そしてそんな彼女の言葉だからこそ、誰もが絶対の信頼を置いて納得する。彼女の言葉は絶対の真実を語るのだ。
「……かしこまりました」
 明らかにまだ納得していない色を残しながらも渋々ながらカミネがカトラスを再び鞘へ。
「ふう、マジで助かった」
 今度こそ僕の安全が保証される。肺の奥の奥から緊張を吸い込んで重くなった空気を大きく吐き出す。ああ、空気が美味い。
「すいませんツバメ様、お待たせした上にこんな危険な目に」
 こういうとき彼女はいつも凄く悪いことをしたような顔になる。別にそんな顔を彼女がする必要はどこにもないのに。
 この一週間で僕はそれを知った。
 それはきっと彼女自身が気付かない内に抱いてしまった怯え何じゃないだろうか?
 心を見透かすことが出来てしまう彼女だからこその悩み。もしそれが些細なことでも、自分がそのために嫌われてしまったら。
 一人二人なら構わないかもしれない。
 でも、もし全ての人が心の中で自分事を嫌っていたら――
 それはきっと考えたくもないほどに辛いことだ。心が壊れてしまうに違いない。誰も自分を支えてはくれないのだから。
「別に良いさ」
 だから僕はそう言った。
 本当にそう思ったから。
 カミネを最初に見たときのお姫様の顔がとても嬉しそうだったから。
「こうやって傷一つなく生きてるからね」
 カミネにしてもそうだ。お姫様に話す口調はとても穏やかで、その顔は生まれたての赤ん坊を見ているかの様な優しさに溢れていた。だからこそ彼女は人一倍神経質になるのだろう。いつまでも自分の大切な人を守り続けられるように。
 その人の傍にいつまでもいられるように。
「だから別に良いさ。気にしてないよ」
 この僕の思いはきっと伝わっている。どう頑張っても隠しきれない。彼女は無名王女だから。
 だから少し恥ずかしい。
 でも彼女が悲しむよりはずっと良い。
 頬が少し熱を持っているのを感じる。
 お姫様の方に目を向けると、彼女の方も同じように頬が赤い。
「あの、ありがとうございます」
「いや、良いって」
「…………」
「…………」
 お互いに気恥ずかしくなって、何とも言えない沈黙が流れる。
 いや、別に嫌な空気じゃないんだけど、何か困る。何か話しかければ良いんだけど、何を話せばいいのか全然浮かんでこない。さてどうしたものか……
「ほむほむ、儂はお邪魔かのう?ほむほむ」
 ここぞと言うほどにないタイミングで現れたのはヘリオル。これで何とか間が持ちそうだ。
「ほむほむ、久しぶりじゃのカミネ。ほむほむ、無事に帰還されて何よりじゃ、ほむほむ」
「お久しぶりです、ヘリオル。相変わらず元気そうですね」
 カミネも素直にそれに答えを返す。この二人もそれなりに見知った仲みたいだ。まあ、この城に仕えてるんだから、当たり前と言えば当たり前なんだけど。それとは何かが違う。もっとこう昔から付き合いのあるような感じだ。
「ほむほむ、それにしてもカミネ、ほむほむ、姫様を溺愛するのは構わんがあまりピリピリしすぎるのは考え物じゃの。ほむほむ、いつまでもそのままではいつか城の客人を切り捨ててしまいそうだの。ほむほむ」
「実はもうさっきそれが起きかけたけどね」
 あくまでも冗談ぽく振る舞い、カミネにささやかな復讐を試みる。
「ほむほむ、それはさて置きですなカミネ。ほむほむ」
 ちょっと待ってそこはあなたが流す所じゃないですよ、ヘリオルさん。むしろあなたはそこで「ほむほむ」言いながら「言わんこっちゃない」とか言って注意したげて下さいよ。
「何でしょう?」
 こら、カミネ。そこでお前も普通に帰すな。せめてもっとバツの悪そうな顔しろよ。じゃないと僕が何かピエロみたいだろ。
「ほむほむ、お前さんの無事な帰還は喜ばしいが、ほむほむ、お前さん真っ先にここに飛んできたのではないかね?ほむほむ。騎士団長殿が探しておったぞ、ほむほむ。まあ、分からんでもないがのう、ほむほむ」
 そうですか僕は所詮やられ役ですか。覚えてろよコンニャロウ。
「あ、そうですよ、カミネ。私に会いに来てくれるのは凄く嬉しいですけど、先に報告に行かないと」
「そういえば忘れてましたね」
「忘れないで下さいよ」
 そら僕なんかに構ってるといつまで経っても行けないわけですね。残念ながら。うん、本当に残念だ。
「申し訳ありません。しかし、正直なところ私、オーケン殿少し苦手なんですが……」
 オーケンとはニフラの近衛騎士団長だ。近衛騎士団はニフラを守る要。騎士団長だからもちろんその中で一番偉いのが彼だ。僕もこの一週間で数回顔を合わせているが、正直あの人は僕も少し苦手だ。
 ニフラは階級に囚われることなく自分の望む職に就くことが許されている。もちろんそれはその人にそれなりの能力が必要であるが。そのニフラの制度の中で騎士団長まで上り詰めたオーケンは確かに人的能力に非常に優れている。本人も悪い人では全然ない。
 しかしこの人いささか性格が体育会系なのだ。さらにそれでいてもの凄くフレンドリーなのではっきり言って暑苦しい。ついでに言うと力加減も下手なのでタチが悪い。
 僕も初めてあったときに鍛え抜かれた太い腕を首に巻き付けられ時は呼吸が出来ず、トレーニング後すぐだったため彼の汗が首と顔の下半分にべったりと付きかなり苦しんだのを覚えている。とりあえずしばらくは忘れたくても忘れられない。思い出したら少し気分が悪くなってきた……
 それにしても何だその子どもの言い訳みたいな理由は。仕事とそういった事情はまた別物だと僕は思うのだが。まあ、カミネの気持ちも分からなくもないけど。
「ほむほむ、まああれはあれでしょうがないからのう。ほむほむ、しかし苦手と公務は別じゃ。ほむほむ、それでは負けを宣言したようなものじゃの。ほむほむ」
「む、私は誰にも負けたりはしませんよ。例えそれがオーケン殿でも勝って見せます」
「…………」
「何か用か?」
「いや、別に」
 笑いを必死に殺しながら興味のない様な顔をしておく。笑うと絶対に彼女はカトラスを抜くに違いない。
 それにしても最初死にかけたときはガチガチに堅い騎士だと思ったんだけど、意外に子供っぽい。どうやら堅いのではなく負けず嫌いで、人付き合いが下手なだけかもしれない。
「じゃあとりあえずさっさと行ってくれば?」
 僕はようやく腰の調子が戻ってきて立ち上がる。とりあえずそれが悟られないように勢いを付けて、ヘリオルにも話しを振っておく。
「爺さんもそろそろ始めないと今日の分終わらないんじゃないのか?」
 この一週間でヘリオルを爺さんと呼ぶようになった僕は大まか彼の性格も理解し始めていた。
 彼はあらかじめ自分の仲でその日の予定を決めて行動に移す。特に僕が増えてからの授業では色々と面倒なことも多いかと思うが、彼は実に綺麗に時間配分を考えている。難しい話しをするときは短くまとめ、後でしっかりと質問できるように時間を取ってくれる。
 ヘリオルの話しの中には必ず質問の時間が設けられている。彼曰く、一回で全てを理解することは難しいが、質問することでそれを強く意識付けし覚えやすくなると言う。逆に言えば質問がない方がヘリオル的にはおかしいらしく、質問することは興味を持っていることとイコールなのだそうだ。国を将来治める者として国のことにはしっかりと興味を持てるように内容を調節しているらしい。
 何とも神業的な授業だ。
 実際に受けた僕も興味を大いに抱き、何度も質問してる。向こうの世界で高校生とかをやってたときでは考えられないし、ほとんど質問に行った記憶がない。せいぜい行ってもしょうがなしに行った程度のものだろう。次のテストで悪い点を取るとやばいとか、まあそれくらい。
「ほむほむ、そうじゃの。ほむほむ、そろそろやらねば本日分が終わりませんの。ほむほむ」
「今日の分が終わらないのは困りますね。それに今からやればまだお茶の時間にゆっくりとカミネの話しが聞けるのでは?」
「ほむほむ、そうですの今からならまだまだ十分にお茶の時間を過ごす余裕がありますぞ。ほむほむ、儂もカミネの土産話は楽しみにしておりますのじゃ。ほむほむ」
「分かりました。それでは私はオーケン殿に報告を済ませてすぐに戻って参りますので」
 お姫様の言葉は効果覿面だったらしく、カミネがお姫様の手を取り頭を垂れている。きっと彼女は本当にすぐに戻ってくるのだろう。僕の予想だと三〇分以内には確実に戻ってくるんじゃないだろうか。
「それでは」
 カミネがまたお暇様に最初にしたように姿勢を正し、右の手の甲を相手に見せるように顔の真横に持ってくるとそのまま方向を一八〇度転換しそそくさと歩き出した。とりあえずもの凄く早歩きであることを個人的に強調したい。
「変な子だなぁ」
 その後ろ姿を長めながらなんともまったりした呟きが漏れていた。まあ、本人には聞こえないような声で、だけど。
「変ですか?」
 お姫様が不思議な顔で聞き返してくる。
「うん、まあね。大人びてるなあと思ったら、変に子供っぽかったり、何とも掴みづらい性格だと思ってね。まあ、悪い子じゃないんだろうけど」
「ほむほむ、まあ最初はみんなそう言うんじゃよ。ほむほむ、あれはしっかりしてるようで意外と抜けておるからのう。ほむほむ、それになによりあれは負けず嫌いじゃて、ほむほむ」
「そうですか?私にはいつもしっかりとして見えるんですけど?」
「ほむほむ、それは姫様の前じゃから意地を張っておるのですじゃ。ほむほむ」
「なるほど。それにしても爺さんやけに知ったような口だな」  僕はずっと気になってた疑問を口にする。仕事上の関係にしては親しすぎると思ったのだ。まあ、この城に勤める人々はみんながみんな僕のイメージ以上に仲がよいのだが。
 カミネとヘリオルはそれ以上に見知った感を感じた。もちろんお姫様もカミネにはレスティアさん以上に親近感を持ってるような感じがした。
「ほむほむ、それはまあのう。ほむほむ」
「カミネは私と同じようにヘリオルに勉学を学びましたから」
「幼なじみなんだ」
「はい、まあ」
「ほむほむ、姫様が幼少の頃は常にカミネの後ろについて回っておりましたからのう。ほむほむ、あの頃はレスティア嬢が大変困っておったものです。ほむほむ」
「もう、幼少の頃の話しは止めて下さい」
 頬を赤らめて照れるお姫様。くぅ、見てみたかったぞ、幼少の頃のお姫様。きっともの凄く可愛かったに違いない。お持ち帰りしたくなるほどに可愛らしいちびっ子お姫様の様子が容易に想像できる。
 いや、今危ない声が聞こえたとか、そういうのは気のせいです。
「ほむほむ、それではさっさと始めてしまいましょうかの。ほむほむ、話しこけておると本当にカミネが飛んで戻ってきますからの。ほむほむ」

 と、まあそれから幾分かの時間が過ぎてヘリオルからニフラの植物について学んだ後。今は質問の時間だ。今回の授業の名目はニフラの基本的な植物なのだがその中には僕の見知った植物も多々含まれていたので、時間は予想以上に短く済んでいた。質問の最初に今まで説明を受けた物以外で覚えておくと役に立つ植物をいくつか尋ね、そして今に至る。
 レスティアさんがまだ姿を見せていないため。休憩時間まではまだ遠い。実は一度姿を見せているのだが、それは休憩のチャイムを鳴らすためではなく、本当に三〇分以内にオーケンに報告を済ませて戻ってきたカミネを探してのものだった。
 何でもカミネは本当に報告だけを済ませてきたのであり、その他のお偉いさんたちには全く報告や謁見をしていなかったそうだ。例を挙げると女王陛下とか。女王陛下とか、そう女王陛下とか。
 それって一番最初に行くところ何じゃ……
 何となくヘリオルの言っていたカミネの子供っぽいが分かった気がする。
 まあ、そんなわけで折角飛んできたカミネはどこからともなく現れたレスティアさんに有無を言わさずに連れて行かれてここにはいない。まだ、戻ってくるまでにしばらく懸かると思う。
 ちなみに僕は既にニフラ女王陛下への謁見は済ませている。
 謁見できたのは僕がスーリアにやって来てから三日目のことだ。

 前日にレスティアさんとヘリオルに謁見の仕方、礼儀を学び倒して付け焼き刃のマナーを携えて謁見の間へ。僕を縦に三人積んでも容易に足りる高さの大きな扉が威厳ある音を立ててギギギと開いてゆく。
「では参りましょうか、ツバメ様」
「ああ」
 僕を先導して歩くお姫様に僕の後に付き従ってくれているレスティアさん。二人ともぼくのフォローのためにここにいてくれているのだ。王女様に謁見するのに誰か付き添い(通常は衛兵らしい)が必要なのだが、それを無名王女様が買って出てくれたのだ。レスティアさんは何か面白いからという理由でここにいる。一応フォローしてくれると約束はしてもらってるけど。逆に何だか不安だ。
 窓から無数に差し込んでくる光の帯。それは計算され尽くされたかのように僕たちが歩く為の薄く赤い絨毯の上には一本も刺さっていない。コツコツと静かに響く僕とお姫様の二人分の足音が僕の心音に重なり、追い抜かれていった。
 どうしよう、凄い緊張してきた。
 お姫様には何度も「大丈夫ですよ。母様は気さくな人ですから」と言われたけど、流石に緊張する。こんなの初めてだし。まあ、当たり前だけど。
 やがてお姫様が立ち止まり、ドレスの裾をちょこんと持ち上げてお辞儀する。
「お母様、ツバメ様をお連れしました」
「ご苦労様」
 そう言って優しく彼女は微笑んだ。
 ニフラ女王陛下。
 面影はやはりというか無名のお姫様に似ている。親子揃って同じ鮮やかな黒髪はお姫様が腰上当たりなのに対してニフラ様はそれより遙かに長い。腰掛けているから分からないけど、多分太もも半ばまであるんじゃないだろうか?慈愛に満ちた輪郭だがその中には芯が通って感じられる。可愛くも格好良い。そんな感じの美人だ。きっと僕の前にいるこのお姫様も将来はこんな風に綺麗になるだろう。彼女はあんなにも日々頑張っているのだから。
「お会いできて光栄です、陛下。河渡燕と申します。本日はお忙しい中、時間をいただきましてありがとうございます」
 緊張しながらもどうにか自己紹介を終える。心臓の音は先ほどにもましてドックドックと早まることを止めてくれない。いっそ止まってしまえば良いのに……嘘ですゴメンナサイ。
「すいませんね、すぐにお会いできなくて。どうにも公務で時間が取れなかったもので」
 僕の複雑な心境をよそに陛下が謝罪の言葉を述べる。
「いえ、気にしないで下さい。いきなり僕みたいなのが会えるわけでもないですし、僕自身もっと複雑な手続きを踏んだ上で、自分の無害をどうにかして証明しないと会えないと思ってましたから。たった三日の日数で謁見が許されるなんて、凄く感謝しています」
 まあ、逆に言うとあまりにも早く会えるもんだから僕の方は心の準備が全く出来てない訳なんですが。
「そう言って貰えると助かります。あなたの申し出をレスティアから聞きましたが、しばらくの間は娘と共にヘリオルにこの国のことを学んで下さって結構です。それから、この国の方針通りあなたの望む職を目指して貰って構いません。でも、本当にそれで宜しいのですか?我々ニフラはあなたを客人として迎えることを歓迎しますよ?」
 そう、それは何度も言われたことだ。ずっと客人としてこの城に滞在してはどうかと。
「はい、その申し出は大変ありがたいのですが。僕がどうにも心苦しいので」
「そうですか」
「もちろんこの城で働ける道を探すつもりではいます。話しを聞く限りだとどうにも狭き門みたいですけど」
「そうですか」
「はい」
「…………」
「…………」
 さて会話が止まってしまったわけですがどうしたものか。それになんか陛下が小刻みに震えてるように見えるのは僕だけだろうか?いや、違う正しくは目の前で黙りを決め込んでいたお姫様も震えてる。こっちは絶対に震えてる。だってその距離約一メートル程度だし。
 何で?
「…………フフ……」
 ???
「ウフフフフッ」
 何か聞こえたと思ったらいきなり陛下が陛下にあるまじき大声を上げて大爆笑を起こした。あまりに予想できなかった自体に、僕はいきなり聞こえた大きな音に驚いた子犬のように肩がビクッと反応した。
「ハァハァ、もう良いかしら、レスティア?」
 ひとしきり息が絶え絶え、お腹が痛くなるまで笑うとニフラ様が僕の後ろにいるレスティアさんにそお尋ねた。というか何故レスティアさん?
「はい〜、ご苦労様でした〜♪」
「なかなか名演技だったみたいね?うん、楽しかったわ」
「やっぱりおかしいですね。ここまで厳格なお母様は」
「私もそう思うわ。もう、最初っからずっと笑い堪えるのに必死だったもの」
 ちょっと待て。それってつまりは――
「とりあえず〜♪この二日で必死になって礼儀作法を覚えようとしてたツバメ様はなかなか面白かったですよ〜♪」
「そうね、その辺を実際に見れないのがかなり残念ではあったけど」
 残念とか言われても……
 というか偉く気さくになりましたねニフラ様……
「まあ、そんな訳だから気楽にして下さいな、ツバメ様」
 何かもうどうしたら良いのか分からず固まったままの僕に微笑みかける陛下。
「はあ」
 気楽とか言われても僕はどうしたらいいものか。
「え〜と、とりあえず僕は遊ばれてた訳ですか?」
 考えた末に出てきた言葉はその程度のものだった。
「気付くのが遅いですね〜♪」
「すいませんツバメ様、でもレスティアやお母様が乗り気だったのでつい」
「姫様も十分乗り気でしたよ〜♪」
「いえ、そんなことは――」
「いやいや、私やレスティアだけに責任を押しつけるのはダメよ。あなたも十分に楽しんでいたんだから」
 この光景が仲睦まじい親子の光景に見える僕はいけないんだろうか?
「はあ、何だかなあ」
 何だか緊張していたのがバカみたいだ。
「まあ、良いか」
 きっと僕にはこれくらいで丁度良いんだ。
「とりあえずしばらくお世話になります、陛下」
「ええ、こちらこそ。貴重な異世界のお客様です。この世界をじっくり堪能していって下さいね」
「はい」
 それだけこの国が平和だと言うことなんだから。

「そう言えば――」
 僕は拍子抜けするほどにあっさり、かつ軽い雰囲気で終わった謁見を思い出しながらふと疑問に思ったことをヘリオルに尋ねる。
「カミネが口に出しててたロイヤルガードっていうのは実際の所どういう職位なんだ?」
 名前からして大体のイメージは持てるんだけど、それにしては何かこう自由に動きすぎてる気がする。
「王族直属の近衛隊だとは思うんだけど、その割にはカミネはどっかに遠征してたみたいだし。僕のイメージとは微妙に違っているような気がするんだけど」
「ロイヤルガードはこの国の柱ですね」
 僕の質問にお姫様は簡潔に答えてくれる。まだいまいち納得はいかないけど。その辺はヘリオルが詳しく説明してくれるに違いない。
「ほむほむ、正しくはこの城のいくつかの職の長がロイヤルガードとなるのじゃ。ほむほむ」
 なるほどそれなら何となく分かる気がする。
「ほむほむ、ツバメ殿の見知った人物で言うと侍女長のレスティア嬢や騎士団長のオーケン殿がそうじゃの。ほむほむ」
 僕の頭の中に最初に浮かんできたのはオーケンだったんだけど、レスティアさんもなのか。そういえばあの人侍女長だったな。
「あ、ツバメ様今レスティアが侍女長だってこと忘れてましたね」
 はい、その通りです。すっかり忘れてました。
「見た目には分からないかもしれませんが、レスティアは凄く強いんですよ。侍女長の他にロイヤルガードの長も勤めてるんですから」
「マジですか!?」
 レスティアさんの見た目からは読み取れない実力の程を聞かされる僕。それなら僕が最初にレスティアさんに会ったとき背後に控えていた衛兵達の反応も分からなくもない。そりゃロイヤルガードの隊長ともなれば緊張もするはずか。思い出してみればどこか憧れのような眼差しが向けられていたような気もしないでもない。
 でもやっぱり驚かずにはいられない。だっていつもあんなだし。まあ、人の心を読みまくってる辺りからただ者じゃないとはずっと思ってたけど。
 いやきっとそれは関係ないんだろうけど……
「ほむほむ、事実じゃよ。ほむほむ、カミネは姫様の護衛ということでロイヤルガードになったのですじゃ。ほむほむ、姫様の護衛はすなわち国の未来を守ることですからの。ほむほむ」
「なるほど、だから柱なのか」
 推測するにロイヤルガードは本当にこの国の柱と言うにふさわしいのだろう。各役職の頭をまた別の役職で括ることで全体の統制を取りやすくしているんだろう。それに侍女長のレスティアさんが衛兵に容易に命令も下せることからある程度自由に命令することが出来る権限も持っているんだろう。
 なる人間にはかなりのスキルと能力が必要になるが、それを満たす人間を確保できればこれほど合理的な体制はないんじゃないだろうか。本当にその役割が発揮されるのは情報が統括されにくい混戦時などの緊急事態なんだろうけど。この国の雰囲気だとそれが役に立つ時が来るかどうかも怪しい。
 もちろん良い意味でだけど。
 それにもしかしたらこのお姫様の知らないところでは色々と事件なんかが起こってて、こっそりと解決してるのかもしれないし。
 神出鬼没なレスティアさんとかなら十分にこなしかねない。
「まだまだこの国について学ぶことは多そうだなぁ」
「そうですね、でもそれもきっと楽しいですよ?」
 一から全てを学ぶことの難しさに嘆息する僕に笑いかけるお姫様。
 全くもって彼女は強い。
 悩んでるのがバカバカしくなる。
 何も知らない場所に一人で流れ着いて、彼女がいなかったらきっと僕は発狂してたんじゃないだろうか?彼女に出会えて本当に良かったと思う。
「そうだね」
 きっと彼女たちにはまだまだ色々と助けてもらうんだろう。
 今はまだ何も出来なくてもいつかきっと――
 僕に出来ることで何かを返したい。
「そろそろ、お茶の時間ですね」
「ほむほむ、そうですの。ほむほむ」
 柄にもないことを考えてる内にいつの間にかレスティアさんがやって来ていた。その背後にはブツクサ文句を言いながら急ぎ足でこっちに歩いてくるカミネ。
 とりあえずこの授業は終わりのようだ。
 休憩がてらにお茶の時間を楽しむことにしようか。

 変名国家ニフラ。
 その城下町は王女のお膝元と呼ばれるに相応しい賑わいにいつも包まれている。
 それはニフラに住む人々の誇るべき功績である。
 しかしそれは必ずしも全てがそこに住む人々の手によってもたらされるモノではない。
 国の内外、様々な場所から人が訪れ、交流する。そんな光景が何千回、何万回、それ以上に繰り返されての結果がその賑やかさを生んでいるのだ。
 それはその国に住む多くの人々が見知っている事実であり、当人達もまたその一部として国の土台を作っていくのである。
 その土台を作る上で重要視されるのはやはり交通網である。
 ニフラの民に重宝されているのは馬車で、通る場所を主街道として整備している。街道には魔法による結界が張られ、魔物が近寄らないような造りになっている。
 そんな街道をゆらりと進む馬車の中。時としては後数刻もあれば城下町に到着するであろう頃合いでの事。
「あんたも祭りを目当てに来たのかい?」
 変則的に刻まれるリズムの中で気の良さそうな中年男性が男に話しかけていた。
「…………」
 話しかけられた男は毛頭答える気がないようで、その問いかけに眉一つ動かさない。むしろあからさまに鬱陶しそうに元より深く被っていたフードを更に深く被り直す。
 それによって彼のフードからほんの少しばかりはみ出していた緋色の髪が完全に中に飲み込まれてしまった。
 中から覗き見えるのは鋭く、そしてどこかくたびれた感じのやはり紅い瞳だけである。
 普通ならその態度に気を悪くするか、はたまた彼のその冷たい視線で諦めるかのどちらかだろう。
 が、しかし――
「俺ァいつもこの時期になると田舎から稼ぎに出てくるんだけどよぉ〜」
 男性は彼の様子を気にすることなく話し続けた。
 どうやら酒に酔っているようだ。頬がかなり紅潮している。
 酒気帯びた男性は男に無視されると気にした様子もなく別の乗客に歩み寄り似たような話を繰り返している。
 乗客達の対応は様々で彼の様に相手にしない者もいれば、その話に興じて自分の似たような境遇を話し出すものがいたりと様々である。
 気付けばそれは結果として馬車の中にいくつかの輪を作ることになっていた。
 初めてニフラの城下町を訪れる者。
 今回で何度目の出稼ぎになるのだ話し合う者。
 それぞれが気の合う者、目的を同じとする者を自然と見つけ会話していた。
 馬車の中で溢れる活気。
 そんな中において、酒気帯びた男性に最初に話しかけられた男だけがどの輪にも属することなく座り込んでいた。変わらずフードを目深に被り、今もその緋色の髪が覗く事はない。
 男は特に何かをしようとすることもなく、相変わらずの鋭い視線でただ一点のみを見続けていた。それは凝視と言っても良いかもしれない。
 彼が見つめる先にあるのはただの赤いシミ。
 きっと何かの拍子に少し付いてしまったペンキか絵の具だかの跡。
 ただその一点だけを見つめている。
 赤くも、紅くも見えるそのシミを、男は城下町までの道中目を反らすことなく見つめ続けた。
 しかし、それに気付いた者はいない。
 誰一人として――



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