Epilogue count 0 〜 Daybreak 〜
肩に寄り添う彼女の重みが心地良い。
夜明け前に吹き付ける風は体が凍り付く程冷たいが、二人でいればその寒さも何だか半分ずつに出来るような気がするから不思議だ。
奇跡的にどうにか存在している今にも朽ち果てそうな病院の屋上で彼女はそう思う。
吐き出す息は真っ白に染まり、綿飴のように夜に膨らんで一瞬でしぼんで消える。
風でなびく彼女の髪が何度も頬を擽っては、闇夜の黒の中ではっきりと浮き上がり、月光を弾いて白く、白く輝いている。
静かに眠る彼女の横顔はとても綺麗だ。
閉じられた瞼に重なる睫毛はとても長く、肌は今でも瑞々しい程に白い。その表情はとても穏やかで、彼女がもう目を覚まさないなんて嘘だとしか思えない。
でも、それは事実だ。
繋ぐ手から伝わる温度は刻々と冬の寒さに近くなっているし、息遣いだって聞こえない。鼓動も伝わってこない。
彼女はもうここにいない。
この世界の何処にも。
蒼井 海空という存在は何処にもいなくなってしまった。
あの大輪の花のような優しい微笑みにはもう会えない。
あの耳に届くだけで全ての不安を拭い去ってくれる声を聞く事はもう出来ない。
あの触れただけで心を満たしてくれるての手の温もりはもう得られない。
もう、何も……
そう思うととても寂しかった。
心の中にぽっかりと穴が開いた様な――
そんな、とても、虚しい、感覚。
何となく、少しずつ明るんできた空へと手を伸ばした。
指先の向こうには少しぼやけた淡い月。
こうして手を伸ばしてみればすぐに掴めそうなのに届かない。
そして、その距離は果てしなく遠い。
そう、遠いのだ。
どこまでも、どこまでも。
ずっと、ずっと遠い。
それは人と人の距離にとても似ている。
人はどこまでも一人でしかない。
一人が二人になる事は出来ないし、二人が一人になる事は出来ない。
その距離がゼロになる事は絶対にない。
「そう、私達の様に……」
呟きが淡くなった夜に溶けて、消えていく。
「でも、」
人はどこまでも一人だが、どこまでも独りではない。
それを彼女は知っている。
教えて貰ったのだ。
彼女に。
大切な人に。
蒼井 海空というとても大切な人に。
その全ての想いが此処に在った。
胸の奥にぽっかりと空いてしまった虚空に納まっているのだ。
ソレは失った物とは全く違う形なのに、とてもそこにあるのが当たり前のように納まっていた。
温かい。
そう、これはとても温かい。
今まで感じたどんな寂しさも、悲しさも。全てを包み込んで、淡い思い出に変えてしまうようなそんな温かさ。
そんな温かいモノが此処に在る。
「だから、私は独りではないのよね」
ずっと一緒にいてくれるから。
例え、触れられなくても。届かなくても。
もう二度とあの淡くて、優しい微笑みと向かい合う事が出来なくても。
彼女のくれた想いが確かに此処に在る。
星海 未時という存在の中で生き続けている。
だから未時はもう独りではなない。
一人だけれど、独りではなくなった。
これから先、どこまでも果てしなく続くだろう道にはずっと彼女の想いが寄り添ってくれている。
その想いの形が此処にある。
タロットカード。
淡く輝く光を放ち、それが彼女の手元で浮かんでいる。
それは彼女達の魂の形。
想いと絆の結晶。
そして、星海 未時という魔術師の論理の形。
「大丈夫、きっとどこへでも行けるわ」
忘れない。
きっと。
絶対に。
彼女の笑顔を、温もりを。
この想いも。
全て――
「だから見ていて欲しい。
誰よりも近い、この場所で――」
手元に浮かぶカードが散る。
はらり、はらりと、まるで初めて冬の空に舞い散る粉雪の様に空をたゆたう。
やがて、その中の一枚がゆっくりと彼女の手元に降り立ち、浮かぶ。
“魔術師”の正位置。
その意味するところは、“始まり”と“創造”。
まさにこれからに相応しいカードだった。
そして、又、今この瞬間にも。
「ほら、見て海空。夜が明けるわ」
いつしか紅く、蒼く染まっていた空に向かって光が昇ってくる。
一秒、一秒毎に空に紅が走り、蒼が深まっていく。
夜が明ける。
新しい一日が始まる。
それは彼女と交わした最後の約束。
刻々と昇ってくる日の光を共に眺めようという最後の約束。
それが今果たされる。
彼女との最後の思い出はとても甘くて、切なくて、悲しくて。
そして、それは酷く、浸みて、浸みて――
最愛の人と眺めた最初で最後の茜色はとても滲んでいた。
けれど、今まで見たどの景色よりも遙かに美しかった。
「……あぁ」
夜が、明けた――。
Last Episode“Star in to the Blue ”Fine.
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