エピローグ〜 Dear Sister 〜
彼女が眠り続けてもう二日になる。二日前には蒼白だった顔色も今では大分良くなったけど、まだ目を覚ます気配はしない。レスティアさんが言うには「心配ないですよ〜♪カミネちゃんは強い子ですから〜♪」だそうだ。
が、現実にはそうそう楽観出来ない人も勿論いるのだ。
そう、彼女のように。
「カミネ……」
そう、呟くのももう何度目だろう。お姫様は朝から晩までずっとカミネに付きっきりだった。寝る間も惜しんで彼女の傍にずっと座っている。きっと僕やレスティアさんが促さなければ食事や仮眠も取らなかったに違いない。
「お姫様」
「ツバメ様」
「少し休んだらどうかな?また朝から何も食べてないし、寝てないでしょ?」
「でも――」
「カミネは僕が見てるから。それにもうすぐレスティアさんも来るだろうし、大丈夫だよ。目が覚めたらすぐに起こしてあげるから、少し休んだ方が良い。カミネも自分が目覚めた時にお姫様がやつれてたら困ると思うよ?」
ずっと傍に付いていたいというお姫様の気持ちも分かるけど、流石にずっと飲まず食わずで更に不眠不休で看護する彼女自信の事も心配だ。他のメイド達が言ってもがんとして譲ろうとしないだけに、今のお姫様を諭す事が出来るのは僕とレスティアさんくらいだった。
だから僕とレスティアさんはタイミングを合わせて、お姫様が無理をしない程度に休憩させるように間に入っていた。余裕がある内はお姫様は僕達の言う事も聞いてくれないけど、その辺はレスティアさんが一番良いタイミングをピンポイントで教えてくれるから助かっている。おかげでお姫様は濃い疲労の色を残しながらも、まだ何とか元気と言える範囲で立ち振る舞ってくれている。
でも、それもいつまで続くか分からない。カミネの事は勿論心配でもあるけれど、お姫様の事も同じくらいに僕達は心配しているんだから。
「じゃあ少しだけ、ほんの少しだけ休ませて貰いますね」
「うん」
「それから――」
「大丈夫カミネが目を覚ましたらすぐに起こしてあげるから心配しないで」
「はい。お願いします」
そして、ようやくお姫様はカミネが眠るベットから少し離れた場所にある簡易ベットに潜り込む。
やはり疲れているのだろう。お姫様の寝息はすぐに僕の耳に届いた。深い深い寝息に混じって聞こえる「お姉ちゃん」という小さな呟きに、僕は少しばかりの嫉妬を抱きながらも、苦笑するしかなかった。
「まったく、早く起きてくれよカミネ。じゃないとお姫様まで倒れちゃうよ」
これくらいの愚痴を零すのだって、せめてもの気休めと変わらない。
結局、お姫様が一番元気になるのはカミネ自信が目を覚ます事だから。
「姫様はちゃんと休んで下さいましたか〜♪」
「はい、ついさっきですけどね」
いつの間にか音と気配を殺して部屋に入ってきたレスティアさんとの細々としたやりとり。
「助かりました〜♪それで、カミネちゃんの様子はどうですか〜♪」
「相変わらずですね。顔色はまた少し良くなった感じはしますけど……」
「そうですか〜♪」
そう言ってレスティアさんはカミネの額をぬるくなったタオルで優しく拭ってから、また冷たく濡らして額に乗せる。そうしてからようやく、彼女はカミネのベットの傍に置かれたもう一客のイスに落ち着いた。
「あんまり心配してるようには見えませんね」
僕は何となくそんな言葉を口にしてしまっていた。それが失言だと分かっていながら口にした。それを聞く事があまり悪い事だとは、不思議と感じなかったからだ。
「そうですね〜♪」
レスティアさんはやはりと言うべきか、とりわけ怒る事もなく顔をこちらに向ける。
「確かに心配してないと言えば嘘になりますけど〜、それ以上にカミネちゃんの事は信じていますから〜♪」
「だから、カミネにロマリアさんの事も任せたんですか?」
僕は単刀直入に尋ねる。この人相手に回りくどい問いかけは不要だ。それくらいは僕にだって十分理解出来ている。
「そうですね〜♪
私は、カミネちゃんが今までどれだけ頑張ってきたか、どれだけ姫様の事を愛しているかを一番近くで見てきたつもりですから〜♪
それに、今回の事はきっとこの子が自分で最後のページを閉じないと一生後悔するでしょうから……」
良いながら、レスティアさんはカミネの髪をそっと撫でつける。
「だから、私は彼女の事全てをカミネちゃんに任せたんですよ〜♪」
もしかしたら、レスティアさんはカミネがロマリアさんを説得出来ると考えていたのかもしれない。
確かにもうこの世に残されたたった二人の一族同士で話をするのが一番良い選択肢だと僕も思う。仮に、もし全員で話し合ったとして、カミネだって同じ事を望むだろう。
そう、例え誰が反対したとしても、だ。
でも、結果は必ず望んだモノが得られる訳じゃなかった。
それは、今僕達が一番痛感していた。
二日前のあの時、月神祭でみんなが中央広場に集まっていたのは不幸中の幸いだった。それくらいに、カミネ達のいた広場は凄まじいありさまになっていた。
とりあえず一言で言ってしまうと、広場というより荒れ地。荒れ地と呼ぶよりも放置された工事現場と言った感じだった。
そんな場所の真ん中に彼女達はいた。
まるでお互いを支えにするかのように座り込んでいた。
状況が状況じゃなければ、すぐにでも絵に納めたいくらいのワンシーン。
だけどそう言う訳にもいかないのはすぐに理解出来た。僕の頭は恐ろしいくらいに冷静に状況を判断していた。
僕は疲れを置き去りにして二人に駆け寄った。触れた瞬間に思わず手を引いてしまった程、二人の肌は共に怖い程冷たかった。
だけど、“カミネは”確かに生きていた。
肌は氷のように冷たかったけど、それでも押し当てた僕の指にカミネの血液は確かな鼓動を伝えていた。その事実が僕の肺から一気に大量の酸素を搾り取っていったのは言うまでもない。
そこからはもう無我夢中だった。
僕は何故か二人を無理矢理背負って火事場の馬鹿力よろしくお城に駆け込んだのだ。二人とも運んだ事は、今思えばおかしな事かもしれない。
でも、あの時僕は二人を引き離してはいけないのだと感じたんだろうと思う。
その結果として彼女が今ここにこうしているような感じがするから。
そうだと良いと心から思う。
「そういえば〜」
と、いつの間にか黙り込んでいた僕を呼び戻すようにレスティアさんが言う。
「また、ツバメ様には助けて頂きましたね〜♪」
レスティアさんはそして、とんでもない事を言った。
「まったく僕は何もしてないですよ。いつだってただそこにいるだけです。今回だって結局何もしてませんよ。たまたまです」
そう、僕がカミネを助ける事が出来たのは本当に偶然でしかない。
たまたま、オミリアにそれっぽい事を言われただけで、後はただ思うがままに走っただけ。その結果として、僕はそこに偶然辿り着いただけだ。
「だからお礼を言うならきっと僕じゃなくて、オミリアとか、カミネを治療した人達に言うべきですよ」
僕はそんな立派な何かを出来るような出来た人間じゃない。
「ツバメ様がそう言うのなら、そういう事にしておきますけれども〜♪」
いまいち納得出来なさそうにレスティアさんは言う。その顔がどこか悲しそうに見えたのはきっと気のせいなんだろう。
「それでも私は今、ツバメ様に感謝しているのですよ〜♪
だからやっぱり言うべきだと思うんですよね〜♪なのでやっぱり受け取るだけは受け取っておいて下さいね〜♪
私の大切な妹を助けてくれてありがとうございます〜♪」
わざわざ頭を下げてまでお礼を言われた。
僕としてはどうにも背中がむず痒くなって仕方がない。
「まぁ、これは私の自己満足みたいなものですから〜、ディナーの前菜みたいな感覚で食べておいて下さいね〜♪」
「はぁ、まぁそういう事なら、とりあえず受け取っておく事にします」
「そうして下さると助かります〜♪」
そしてレスティアさんは何事もなかったかのようにまたカミネに向き直る。
その眼差しはやっぱりとても優しくて、レスティアさんがカミネの事を妹だと言うのも分かる気がした。二人を繋ぐ絆は僕には見えないけれど、その重さを推し量る位は出来る。
それはきっと僕の想像を遥かに凌ぐくらい強くて、綺麗な想いなんだろう。
「早く目覚めれば良いんですけどね」
「そうですね〜♪」
そして僕達はそうやってそんな何気ないやりとりにそっと祈りを込めるのだ。
そんな僕達の祈りが実を結んだのは、その次の日。
時刻はもう深夜と呼べる深い夜の時間。
うつらうつらと、流石に三日三晩に続く看護にお姫様が船を漕いでいた時だった。
「……姫、様?」
待ち望んだ声はすぐに何処かへ飛んでいってしまいそうな程に薄くて、弱々しかった。
だけど、それがカミネの発したものであることを、その場の誰もが漏らすことなく聞き取っていた。勿論、彼女だって。
「カミネ!」
眠気を遥か向こうに吹き飛ばして、お姫様は三日ぶりの笑顔をカミネに向けた。
「大丈夫ですか!どこも痛くないですか!お腹空いてないですか!えっと、それから、それから――」
もうきっと自分でも何を言って良いのか分からないのだろう。それくらいにお姫様は動転していた。
「ほら、とりあえず落ち着いて。大丈夫だから」
そうやってお姫様はようやく息を整えて、現実をちゃんと理解して――
「カミネ……」
「はい」
名前を呼んだ。そこにいる事を確かめるようにそっと。
「……カミネ――」
もう一度呼ぶ。今度はゆっくりと手を伸ばして、それが夢じゃない事を確かめる。
「はい――」
嘘じゃないと伝えるようにカミネはその手を取って応えた。
今、ここに彼女がいる事。
それが幻想でも夢でもない事を伝える。
「ふぇ――」
ポツリとベッドに音が鳴る。
そこだけ雨が降ったんじゃないかと思うくらいに、後から後からそこには重ねて雫が降っていく。
「カ、ミネ。ぅ、ふぇ、――ウアァアアアアアアアアアアアアアアアアアッンッ!」
溢れる涙そのままにお姫様はカミネに飛びついて、その胸に顔を埋めていた。
「カミネ、カミネ!
とっても、とっても心配したんですよ!
本当にもうダメなんじゃないかって、カミネが、お姉ちゃんが死んじゃうんじゃないかって、私、私――良かった、本当に良かった……」
そこから先は言葉になっていなかった。言葉にしようとしても、代わりに出てくるのは嗚咽ばかりで、それを補うかのように涙ばかりがカミネの胸元を濡らしていく。
「……すいません」
きっと何て言ったら良いか分からなかったんだろう。少し考えてようやくカミネの口から出てきた言葉がそれだった。
それを聞いた僕とレスティアさんは苦笑いするしかなかった。
きっと自分達がその状況でもそれくらいの言葉しか言えないと思ったからだった。
お姫様をなだめるのに一生懸命なカミネを見ながら僕は包帯を巻かれた腕をさすり、肩を回した。ポキリとお年寄り的な音が鳴り、僕はしばらくは大変そうだなぁとか考える。今になって人二人を運んだ影響が体に出てきているのを実感しだしたのだ。きっと明日からは凄い筋肉痛に悲鳴を上げる事になるんだろう。
人は何でも欲しいモノを手に入れる事は出来ない。
逆に欲しくないモノを手に入れなければならない事だってある。
それは僕達が生きていく中で、きっと必ず悩んで苦しむきつい上り坂だ。
その上り坂はもしかしたら、上った矢先にまた新しい坂道で待ちかまえているかもしれないけれど、いつかはきっと綺麗な絵を見せてくれて、僕達にその世界の素晴らしさを教えてくれるんだと思う。
そして、その上り坂はいつも一人で上らないといけない訳じゃなくて、誰かと一緒に上ったって良いし、自分のペースで進んだって全然構わない。必ずみんな同じ道を進む訳じゃないから、いつでも手を貸す事はできないけれど、もし、たまたまその道が交わっていたその時は「お疲れ様」って一声掛けてあげるだけで、きっとその人は少し元気になれると思うし、そうやって、僕達は辛い事があっても乗り越えていけて、その何個目かも分からない坂道をまた「上ろうか」って思う事が出来るんだろう。
だからまた新しい坂に挑む為に、彼女はその言葉を口にしたんだろう。
「ただいま――」
愛おしい人達に、愛おしい想いを込めて、彼女は優しく声にした。
目元を赤くしてずっと自分を心配してくれた妹に。
いつも自分を見守って、信じてくれた姉に。
自分を心配してくれた色んな人達に。
少しでもその思いが伝わるように――
そして僕達はその想いに応える術を知っている。
「おかえり――」
たったそれだけの言葉。
だけど、その言葉の意味を僕達はちゃんと知っている。
そして、また僕達は次の坂道を上っていくんだ。
その想いを抱いて――
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