陽溜まりの下で



 世間一般で言うお嬢様学校。
 その実態は主に二つの分野に別れる。
 一つは、最近増えている名ばかりのお嬢様というやつである。名前や学校案内のパンフレットにはそれらしく書いてはあるが、実際に中に入るとそうでもない。むしろ共学にすら劣るのではないかと思えるくらいの女性ならではの風紀の乱れが見られる。あえて、例えばとは言わないが。
 そして、もう一つが生粋の、それこそ時代錯誤なのではとさえ感じさせるような風習を重んじるもの。こちらはそれこそ言葉遣いや立ち振る舞いに至るまでに気を配らねばならない。堅苦しさは十二分に感じるかもしれないが、大和撫子という言葉が当てはまる女性を育むならやはりこちらだろう。
 幸か不幸か、少なくとも星海未時(ほしうみ みとき)にとっては不幸なことに、彼女の通う高校というのは明らかに後者であった。
 しかも、その中で比較しても上に超が付くほどの。
 星海未時は魔術師である。しかし、彼女は魔術師である以前にまだ学生でもある。彼女にとって学校とは嫌いな場所ではなかったが、限りなく退屈な場所だった。
 単純に刺激が足りないのである。
 高校に上がるまではまだ我慢できていたのだが、ここに入学してからその退屈は輪をかけてその存在を主張するようになった。本来なら彼女はこんなところに入学する気はなかったのであるが、中学生までの学生生活を謳歌しすぎたのである。
 未時は良く言えば活発、悪く言えばやんちゃすぎたのだ。
 それを見かねた両親の意向により、彼女は不本意ながらそんな超が付くほどのお嬢様学校――聖光女学院に入学させられたのである。
 はっきり言って、学園での生活は未時にとって窮屈以外の何物でもなかった。彼女自身が魔術師であるという認識を強く持つようになってからは、なおのこと……
 ただ、それでも――
 彼女はそこで過ごした時間を忘れたいとは思わない。
 あの陽溜まりのような、優しさと暖かさに満ちた時間のことを――

「おはようございます」
「おはようございます」
 品のある挨拶とはまさにこのことだろう。今日もまた生徒達は、友人と出会うたびにこぞって御挨拶を交わしている。
「おはようございます」
 またか……
 未時はうんざりしながら、今日でもう何度目か分かりたくもない御挨拶をされる。
「はい、おはようございます」
 表面上は穏やかに、それでいて半ば投げやりに、未時も御挨拶を返してやる。それだけで相手はキャーキャー黄色い声を控えめに上げて友達と喜び合っている。自分とそんな意味のない御挨拶をすることがそんなに嬉しいのか、何が得なのかといつものように思うが、面倒くさくなって考えるのはすぐに止める。
 下駄箱までの短くも長い道のりを駆け抜けたい衝動に駆られるが、ここではスカートの裾をはためかせて走ることなどもってのほかである。やってしまえば、放課後という自由時間が小一時間は遠のいてしまう。入学時に何度も味わった経験を生かして、衝動をグッと押さえ込み、歩幅を少し広げて、歩速も少し上げる。もちろん風紀の教師に注意されないギリギリまで。
 今日もまたうんざりするような一日が始まるのだと思うと、未時の心は鉛の枷を四肢にはめられたかのように重くなった。

 女子校という場所は、ある意味国のようなものだと未時は思うことがある。
 そこには色んな種の“特別”が存在するからだ。
 そんな風に思うのは自分がその“特別”に該当するからで、実感する時というのはそういう目で多くの人に見られる時だ。
 馬鹿馬鹿しい話しだが、未時は聖光女学院という国の中では騎士みたいな存在として扱われていた。激しい妄想癖を持つ生徒の中には彼女はそれ以上の存在――白馬の王子として見られている場合もあった。
 勿論、本人にとってそんなことは迷惑以外の何者でもないのだが、残念なことに女という生き物の多くは噂話だとか、そういった話しが大好きな存在であり、ここはその巣窟なのであった。
 事の発端は入学してから一ヶ月も経たない、まだ未時が学園に慣れることなど全く出来ていなかった頃のことである。
 既にその頃から学園の制度にうんざりしていた未時は、帰り道に同じ制服を着た二人組が世間一般でプレイボーイと呼んでも良いかもしれない男達と一緒にいたのを見てしまった。彼女から見ればどうみても馬鹿っぽいの一言でしか言い表せないその男達は、どうやら彼女と同じ制服を着た二人をナンパしているようだった。
 残念なことに、それは遠巻きに見れば明らかに脅しているとしか見えないようなもので、更に残念なことに、ナンパされている当人達も明らかに迷惑がっていた。
 そして、更に、更に、残念なことに、星海未時はそれを助けてしまったのである。それはもうさっそうと。手段は端的で、要するに叩きのめしたのである。
 それが失敗だったと後悔したのは、早くも次の日のことだった。ことある毎に知らない生徒に声をかけられては、黄色い声を浴びて、気付いた時には騎士扱いである。オマケに職員室に呼び出されて、「助けた事は素晴らしいことですが、立ち振る舞いが穏やかではありません」だのなんだのと結局誉めてるのか、叱られているのか分からないような話を長々と聞かされた始末。まさに未時にとっては踏んだり蹴ったりな結果となってしまった。
 そして、それは未時から静かな学園生活も奪ってしまった。
 以来、未時は授業が終わるたびに知らない誰かに話しかけられ、学園のどこを歩いても視線を向けられる。
 うざったい。
 気付いたときには、星海未時にとっての学園生活はそんな象徴になっていた。
 しかし、いつのいつまでも彼女はそのままの状態でいることを良しとはしなかった。その結果が今である。
 聖光女学院には校舎が二つ存在する。
 旧校舎と新校舎。
 普段、未時達生徒が使うのはもちろん新校舎である。そして、聖光女学院は設備が整っているため、結果として旧校舎はほとんど使われない。部としてまだ認められていないようないくつかのサークルが、とりあえずという形でここの部屋を使ったり、めったに使わない教材をとりあえず使うまで置いておく。そんな場所としてしか使われていない。
 その一角に未時はいた。
 その場所特有の埃っぽい匂いが鼻に付く。壁という壁に沿って並ぶ棚は、ほとんどが空っぽであり、今となってはそこが図書室だとはすぐに気付けないだろう。
 今、ここにこうしている未時も教室のドアにちゃんと図書室の名を持ったプレートが残っていなければ、気付かなかったかもしれない。
 ここはこの学園で唯一と言って良い、未時の心休まる場所であった。
 ここなら未時は一人になれるのである。
「あ〜」
 普段では絶対に学院で聞けないような気の抜けまくった声が漏れた。唸りと言っても良いくらいだ。
 寝っ転がった長机で髪が放射状に散る。肩に触れるか触れないかの長さだが、それでも未時にはちょっと邪魔に感じてしまう。
「もっと短くしようかしらねぇ」
 気怠げに漏れる独り言。
 しかし、それでは騎士だの王子だのの呼び名に更なる拍車をかけることになるような気がする。
 だから未時の髪は年がら年中ほぼこの長さである。たまには長くしたいとか、もっと短くしようと思うが、いつも同じ理由で結局止める。せめてマンガの中の王子も髪がみんな短ければ良いのにと思う。いっそのこと全員坊主になれと理不尽な事と分かっていても言ってやりたかった。
「……寝よ」
 まだ下校前のホームルームが終わって間もない。まだ校内には多くの生徒が残っているし、クラブもやっているだろう。今日は霧羽に魔術の話しだの、様子見だので会う約束もなく、念のためスケジュール帳を確認しても特にこれといった予定はない。
 うん、大丈夫。
 一人で納得してまぶたを閉じ、どうせ誰もいないのだしと大胆に大の字になる。
 学院での一日で摩耗した精神が、未時の体に心地良いまどろみを与えてくれた。

「ん……」
 肌寒さを感じて、未時は目を覚ました。
 陽光は斜めに傾き、ほんのりと闇を孕んでいる。
 少し寝すぎたかと寝ぼけた頭で考えながら、体を何かに取り憑かれたのではないかと思えるような鈍重さでノッソリと起こした。「う〜ん」と片手で伸びをしながら、もう片方の手で髪を軽く梳きながら頭を掻く。勿論、後に続いて欠伸もでる。上品なんていう言葉など欠片も感じられない。
「お目覚めになられましたか?」
「うん」
 かけられた声に気軽に答えた。
 上品さの欠片も持ち合わせていない姿勢のままで――
 伸ばされていた背筋がまるで凍らせたように止まった。
 ガ、ガ、ガ、ガ、ガ。効果音を与えるならそんな音がピッタリ来るような動作でゆっくりと機械的に振り向いた。
「ごきげんよう」
 夕日を浴びながら、彼女は花の様に軽やかに微笑んだ。
「……えっと、ごきげんよう」
 しっかりと自分の間抜けっぷりを実感しながら、未時はそう返すのがやっとだった。

 さて、どうしようか……
 未時は頭の中でだけ、あぐらに腕を組み、対策を練っていた。なんとしても告げ口されるのだけは防がなければならない。
 脳裏に自分が教師に長々と説教される光景がリアルに想像された。思い出しただけでもうんざりする。
 さて、どうやってごまかそうか……
 横目に“彼女”へと視線を向ける。
 そこにはやわらかな笑みをこちらに向ける少女がいた。
 一瞬、天使なんじゃないかと見間違えるような容姿である。一目に純白のイメージを相手に植え付ける。
 その最大の要因は何よりもその髪であった。長々と腰近くまで、ゆるやかに垂れるその髪は汚れの一片すら感じさせない純白。
 そして、その肌もまた驚くほどに白い。
 しかし二つの白は互いに邪魔し合うこともなく、お互いが見事に身を寄せ合って共存していた。
 誰にも侵されることのない白。
 彼女はまさにそんな存在だった。
「こうやってお話しするのは初めてですね」
 そんな真っ白い彼女が柔らかな笑みのまま口を開いた。
「あなたとは一度お話ししてみたかったんです。星海 未時さん」
 そして、彼女もまた未時の名を知っていた。
「それはどうも、蒼伊 海空(あおい みそら)さん」
 未時が彼女のことを知っているように。
 それは彼女もまた“特別”だったからだ。
 蒼伊 海空は“姫”なのである。
 誰よりも優雅に。
 そして、誰よりも華やかに。
 彼女はこの学院という国ではそういう存在だった。
 “騎士”と称される未時とは対照的な憧れを彼女は学院の皆から抱かれているのである。
「それで?私と何を話したいのかしら?」
 しかし、未時の抱く感情はとても静かなものだった。
 それは退屈なのだと、彼女は知っている。
 例え、蒼伊 海空という存在が自分と同じ“特別”であったとしても、彼女は“魔術師”ではないのだ。
 だから海空が星海 未時という存在を未時の望むように受け入れることはないだろうと、未時は思っていた。今までがそうだったように。
 それは未時が魔術師であると自己を認識するより以前に芽生えた冷え切った感情だった。
 ただ、皮肉なことにだからこそ未時は魔術師になることができたと言うこともできるのだが。
「えぇ、別に大した話しではないのですけれど」
 海空は相変わらずのやわらかい笑みで話す。
「そう」
 未時はそれだけ答えるとフワリと埃の溜まった床に着地する。髪に手櫛をかけながら、音を立てることなく歩き出す。
「え?あの――」
「大したことではないのでしょう?なら、別に話す必要はないわ」
 颯爽と。決して振り返ることもなく、未時は夕日を背に受けて去っていく。
 何か寂しげな視線を背に受けながらも、未時はお気に入りの陽だまりを追い出された猫のような気分を味わっていた。

 三日後。
 海空に会った翌日、彼女が生徒指導の教師から呼び出されることはなかった。
 それはつまり海空が未時のことを告げ口しなかったということで、未時はそのことにホッと心底胸を撫で下ろした。
 それから何度か海空とすれ違うことはあったが、お互いが話しかけるどころか、目線を合わせることすらなかった。
 何かがやりづらかった。
 それは今までもそうだったのだが、今までとは何か違うやりづらさがあった。喉の奥に何かが引っ掛かるような、取れそうで取れない何かが未時の中にしこりを生んでいた。
 気分が悪い。
 はっきり言って未時の気分は最悪であった。今なら町の不良グループですらまとめて叩きのめせる自信がわいてくるくらいに、彼女の虫の居所は悪い。
 それは自然と周囲にも伝播するように伝わり、いつの間にか未時の周りにはピリピリとした、どうにも居心地の悪い空気が漂っていた。
 結果としてその空気は人払いの効果を生んでいたが、未時にはだからどうしたという話しだ。イライラとする気持ちもそれはそれで邪魔なのである。
 そして結局、未時はまた旧校舎の図書室にいた。
 色々探してはみたのだが、ここ以上に良い条件を持った場所が見つからなかったのである。
 人が来ないというだけなら他にも場所はあるのだが、この図書室はそれだけではないのだ。
 まず、冷暖房完備なのである。これは非常にポイントが高い。旧校舎で使わないくせに冷暖房の機能がまだ生きてる。しかも独占。これは高ポイントである。
 次に、図書室には大きな机がある。これはもともと両側面に六脚ずつ椅子を置いて使うはずが、今は未時の良い寝床になっていた。未時が始めて図書室を訪れたときは、埃を被りに被っていたが、それは綺麗に手入れした。使われる目的が明らかに間違っているが、そこは未時に言わせれば「使われるだけマシ」である。
 そして何より、この図書室は貴重な南向きの部屋なのである。いくら冷暖房完備とはいえ、やはり日向は恋しい。
 丁度、未時が寝床に使っているテーブルの辺りが、良い感じの程良い陽溜まりになるのである。
 しかも、その陽光が差し込む窓の前には大樹がそびえ立っているので、外から見えることもない。
 ここはまさにサボリ魔の未時にはうってつけの場所なのである。
 しかし、その場所の前で未時はたたらを踏んでいた。
 中に誰もいないのは何度も確認して、分かっている。それでも中に入るための一歩を踏み出せずにいた。何度も一歩だけ踏み込んでは戻るの繰り返しである。
 十分近くその光景が繰り返された頃だろうか、未時の中で何かがプツリと音を立てて切れた。
 馬鹿馬鹿しくなったのである。
 今までのためらいが嘘なのではと疑いたくなる程にあっさりと、未時は図書室の中にズカズカと入っていった。いつもの定位置は今日も優しい陽溜まりになっている。
 自然と笑みが零れた。
 数日空いてしまったので、机には多少の埃が付着していたが、それはパパッと払ってしまえば気にならない程度のものだった。
 いつものように大の字で寝っ転がる。
 気疲れのせいか、瞼はすぐに重くなっていった。

「う、ん……」
 さらさらと撫でられる感触で目が覚めた。与えられる感覚は抵抗しがたく、心地良い。しかし、意識はゆっくりとなだらかに覚醒へと向かっていく。
 陽光が純白を紅く染めていた。
「お目覚めですか?」
「なんで、あなた……」
 寝ぼけた頭で言葉を返し、寝返りを打って彼女に背を向ける。日の光で自分も紅く染め上げるためだ。
「今日ならまた会えるような気がしたので」
 ゆっくりと、柔らかく、蒼伊 海空は語るように話す。
 またあの時のように柔らかく笑んでいるのだろうか。未時は気にしつつも、それを確かめられずにいた。ただ素っ気なく、「そう」と返すだけ。
「今日は帰らないのですね」
「悪い?」
「いいえ」
「だってここは私が最初に見つけた場所だもの。私があなたにここを譲る必要なんてないわ」
 言ってから子供みたいな良い訳だと少し後悔して、頬に熱を感じた。
 すると、クスクスと忍ぶような笑いが背後から聞こえる。頬の温度がさらに増した気がした。
「何よ?」
 ぶっきらぼうに問う。聞いてから怒ったように聞こえただろうかと心配する自分がいた。
「すいません。ただ、私が思ってた通りの人なんだと思って。もちろん良い意味で、ですよ?気を悪くしたのなら謝ります」
「別に、いい」
 また、ぶっきらぼうに答えてしまう。これでは怒ってると言ってるようなものだ。しかし――
「はい」
 彼女は柔らかくそう答えた。
 背後でにこやかに彼女が佇んでいるのを感じた。それが何故か未時には心地良い。
 不思議な感覚だった。
「蒼伊 海空と言います」
 何も話すことなく、数分がたったころに海空は唐突に口を開いた。
「知ってるわ。有名だもの」
「そうですか」
「うん……」
 そして、微妙な間を開けて、
「私、星海 未時」
「知ってます。有名ですもの」
「そう」
「はい」
 それはあまりにも遅すぎる自己紹介だった。
 お互いのことを知りながらも、交わす言葉は初めてのものだった。
 その言葉はとても拙くて、不器用だったけれど、お互いに何かが伝わった気がした。
 それは未時が聖光女学院に入学してから約二年と半年が経った、ある秋の日のことだった。

 何かが変わった。
 そう感じられるような確かなモノは何もなかった。
 やはり未時にとって学園での生活は退屈以外の何物でもなかったし、たまにふらりと訪れる霧羽との会話も意味があるのかないのか、それすら分からないようなものだった。
 しかし、やはり何かが変わったのだと未時は感じていた。
 特に何かをするわけでもなく。ただ、予定のない時間を旧校舎の図書室で過ごす。
 二人で。
 間に頻繁なやりとりがある訳でもなかった。未時はいつものように夕方までを眠って過ごしているし、海空は眠る未時の傍らに座って、静かに読書にふけっていたりする程度である。たまに交わされる会話も、そう呼んでいいのかどうかすらきわどいような素っ気ない内容のものだ。
 でも、居心地が悪いとは一度も思わなかった。
 むしろその逆である。
 いつまでもここでまどろんでいたい。未時はそんなことすら思うときがあった。
 彼女はどうなのだろう?
 未時はそう思いながら何度も海空を寝ぼけ眼で見つめたことがある。
 そのたびに海空はその視線に気付いては同じように柔らかく微笑んで返す。
 そんな彼女を見るといつもその疑問はどうでもいいものに変質してしまって、未時の中から飛んでいってしまう。
「ねえ、蒼井さん」
「なんでしょう?」
 ある日、特に意味もなく呼びかけてみた。本当にただ思うことなんてなくて、その後の言葉に多少の間が必要だったくらいに。
「……何で、私だったの?」
 傍にいるだけで良いのなら、きっと他にも相手はたくさんいただろう。なぜなら彼女は“姫”だからだ。それこそよりどりみどりのはずだ。
「……何ででしょうね?」
 パタンと背中越しに本の閉じられた音がした。ゆっくりと海空の手がこちらに伸びてくるのが分かる。彼女の指が優しく髪に絡んでくる。何度も、何度も。その感触に弄ばれるまま、未時はゆっくりと振り返る。
 そこにはいつも通りの白い彼女がいて、柔らかく笑んでいる。
「私にも良く分かりません。でも、それでも理由を挙げるなら、それはきっとあなただからですよ……」
「そう」
 何か理由が欲しかったのか。
 いや、それはきっと違うだろうと未時は自分の中でしっかりと否定する。
 ただ、答えが欲しかっただけなのだ。
「私も聴いていいですか?」
「何?」
「星海さんは、どうなんですか?」
 ああ、そうかと思う。彼女も自分と同じなのだと。
 でも、それを口に出すのが嫌だったから、未時は少し意地悪をした。
「分かんない」
 それだけ言ってまた寝返りを打ち、海空に背を向ける。ずるいと思いつつ、そうした。
「そうですか」
「うん」
 背後でクスクスという笑い声が聞こえる。
 それが未時にはなんだか変な心地の悪さを与え、彼女は猫のようにからだを小さく、丸くした。
「そうでした」
 しばらくの間、見せ物を見るような視線を向けられていた視線が、不意にまた口を開いた。
「星海さん」
「何?」
「これからは私のこと名前で呼んでくださいませんか?」
「…………」
「星海さん?」
 沈黙する未時の髪にさらりと海空の指が絡む。
「ダメ、ですか?」
 率直にずるいと思った。
 弄ばれるままにゆっくりと振り返る。それは陽の光がもう紅くなっていたからこそできたことだった。
 そこには相変わらずの紅く染まった純白と、柔らかい笑み。
「じゃあ、私も未時で良い……」
 消え入りそうな声で呟いた。
「何、さ……」
 続いてちょっとムッとした声で抗議する。
 そこにはあまりにも驚いた海空の顔があったからだ。
「いえ。ごめんなさい。未時」
 名前を呼ばれた。
 慌てて寝返りを打った。
 これはきっと紅くなった夕日のせいだ。こんなに体が温かくなったのは。
「うん。許してあげる……海空」
 やはりずるいと思った。
 自分も、海空も。
 でも、また明日からもこんなやりとりが続くのだろうと思う。
 二人だけで。
 きっと、こんなずるい時間と空間を占拠するのだと思う。
 ずるいと感じながらも、未時は自分がまた明日もここに来るのだろうと思っていた。
 この、旧校舎の図書館に。
 そこでひっそりと佇む秘密の陽溜まりの下に――


                                      Prelude Zero Episode2“陽溜まりの下で”Fine.


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