Logic of Magick



 魔術師には一つの絶対法則が存在する。
 それは魔術師は決して他人にその論理を教わってはいけないということ――

 女性にとっては心地良い、非常に甘ったるい匂いが鼻孔をくすぐる。年頃の女子高生が学校から家まで寄り道をしないなんていうのはかなり稀な光景で、彼女も例に漏れずそんな一人だったりする。
 そこは最近話題になっているクレープの屋台がある小洒落た広場で、この時間は放課後という自由を手に入れた女子高生達で溢れかえっていた。もちろんここにいる彼女の手にもそれは握られている。キウイとブルーベリージャムの入ったそれである。
 星海 未時(ほしうみ みとき)。それが彼女の名前だ。
 未時は女子高生であるとともに魔術師だ。人が魔術師であるかどうかの認識なんていうものは結構適当なもので、単に本人にその自覚があるかどうかなのだと彼女は聞いた。
 しかし聞いたときには既に彼女はそう自覚していたので、彼女自身はそのとき既に魔術師であったということだ。もっとも「それがいつからなのか?」と聞かれた場合、それに彼女は答えることはできない。何故なら気付いたときには既にそう自覚してしまっていたからで、正確な時期なんていうものがひどく曖昧だからだ。
 だから彼女が唐突にお気に入りのメロディを奏でだした携帯に表示される番号と名前にピンと来なかったのはきっと仕方がないことだったに違いない。第一その番号は交換してからゆうに十日は経っていたものだし、彼と会って話した時間などというのは五分にも満たない時間だったというのも大きなポイントだろう。
 結局彼女が彼のことを思い出せたのはそれからたっぷり三十分は経過しただろうという頃になってからで、その時間は彼女が三枚のクレープをゆっくり食べた時間と同じだった。
 要するに思い出すよという作業よりも先に、彼女は空腹を満たしたかったのである。

 その空間は彼だけのものだった。例え周りにどれだけの人がいて、傍を何回もウエイトレスが通り過ぎたとしても。
 誰も彼もが彼を気にした様子もない。むしろその光景は彼のことなど誰にも見えていないのではないかと思わせるような節すらある。
 事実、その通りだった。
 何度も周囲の視線は彼の存在と交差したが、その視界に彼が存在したことにはならなかった。認識することができないのだ。
 正しくは認識されることを彼自身が許可していない。
 彼は“そういったこと”ができる存在である。
 名は霧羽 総弥(きりばね そうや)。彼もまた自己を魔術師と認識する存在。
 彼が今いる光景はそのまま世界の境界を言い表すことができた。
 すなわち魔術師であるか否か。
 魔術師でない者は魔術師そのものの存在を理解することはできない。魔術師が自ら名乗り出ない限りは。逆に魔術師は今こうして魔術師でない者達の存在を理解することができる。それは紐を辿れば魔術師も人であるからなのかもしれない。
 しかし魔術師の中には「魔術師とは生まれながらにして人にあらず、魔術師である」と言う者もいる。その主張を正しいとするならば、“彼等”は元も人でない何かなのだろうか。それともその主張は間違っているのか。それは人という生き物からすれば大変な命題なのかもしれない。しかし当の魔術師達の多くにとって、それはどうでも良いことだった。
 なぜなら彼等は既に魔術師であるからだ。その事実が変わることはもう二度と無く、それを知るべき時が来るならば、その時はきっとその魔術師にとっての終わりの時だと言われている。
 そして何よりも、魔術師達にはそんなことよりも常に優先して考えねばならないことがある。きっと彼女もこれからそうなっていくのだろう。霧羽はそうなることを予想しつつ、どこかで彼女がそうならないことを祈っていた。そんな自分の思考に驚きと面白さを感じて、彼は口元に微笑を浮かべる。
 その様がどうにも彼女は気に入らなかったようで、彼女が霧羽の座るテーブルに辿り着いた時、その目尻は大きく釣り上がっていた。
「やっぱり来なければ良かったかも」
 第一声がこれである。
「どうしてかな?」
 出来るだけ穏やかに尋ねる。
「別に……」
 が、それもどうやら失敗だったようだ。切れ長の眉は更に険しい顔を演出し、その顔は大きくそっぽを向く。
 だが、霧羽にとってはそれがまた面白い。普段人と接することを極力避けている分、そういう目に見えた感情というのが新鮮なのだ。
「それよりも何か注文しますか?ここのメニューはそれなりにどれも美味しいらしいですよ?」
「知ってるわ。何回か来たことあるもの」
「友達とですか?」
「一人よ。私あんまり人と付き合うの好きじゃないの」
「なるほど」
 そういう彼女の答えは別段おかしなものではなかった。むしろ魔術師としては普通であると言える。
 魔術師は他人と持つ感性が噛み合わないことが多い。その結果として魔術師は主に一人でいることを好むようになる。いや、ならざる得ないという方が的確か。どっちにしろ彼女は魔術師よりな性格な持ち主なのだろう。
 そしてそれならば彼女の機嫌の取りようもあるというものだ。
「ちなみにここのお会計は僕持ちで結構ですよ」
「呼び出したんだからそれくらいはして貰いたいわ」
 口調はともかくとして、彼女――星海未時はようやくこちらに目を向けてくれた。ただし、メニュー越しであるが。
「決まったら教えて下さい。僕でないと注文できませんので」
「別に良いわ。それくらい自分でできるもの」
 彼女は知らずとそう言い放つ。
 彼女はそれが不可能であることを知らない。
 既にここが霧羽の魔術の中にあることを知らない。
 霧羽のしかけた魔術は“存在の拡散”。
 これを使って霧羽は自らがいるこの空間数メートルの存在を外部情報から切り離している。人が何かを認識するのはそれが目に映り、その情報を脳が受け取っているからだ。
 霧羽の仕掛けた魔術はその情報を阻害する。その結果、人が霧羽のいるこの光景を見て受け取る情報はそこに彼がいてもいないという不可思議な情報である。しかもそれでいて周囲からは彼の座るテーブルに彼が座っているという情報は与えられる。そんな理解しがたい状況を作り出すのが霧羽 総弥という魔術師の魔術の一端。その論理は魔術の繰り手である霧羽にしか理解出来ない根拠の元に構築されている。
 星海 未時がその彼を認識できたのは霧羽がそうなるように魔術を組んでいるからであり、決して彼女が魔術師であるからではない。彼がその気になればいくら名うての魔術師であろうともその存在を認識することは不可能である。それはまさに霧のような、気付けばそこにあり、気付けばそこにいないという存在。
 名は体を表すという言葉そのままに霧羽 総弥の繰る魔術とはまさに霧そのものであるのだ。そしてその霧はどう動こうともその中に紛れる人の行動を遮ることはない。
 よって未時が霧羽の魔術の中にいる限り、彼女は外に干渉することは不可能なのだ。
 なのだが――
「すいませ〜ん」
 その魔術師の声は易々と外への干渉を行ってしまった。
 まるで自分こそがその魔術を繰る者だと言わんばかりに。
 一通りの注文を終え、未時の視線がようやくまともに霧羽に向けられた。
 そしてその瞳は告げる。
 「これくらい造作もないことでしょう?」と。
「恐ろしいですね」
「そう?」
「えぇ」
 無自覚ゆえの才能。これほど恐ろしいものはない。彼女の中では一体どんな論理が彼女の魔術を構築しているというのだろう。それはきっと広大な世界を抱いた論理なのだということだけはすぐに理解できた。そして、それそのものは絶対に霧羽には理解できないものであることも、また……
「で、今日の用件は何かしら?大事なことなんでしょう?」
「何でそう思うんですか?」
「だって貴男は私と同じなのでしょう?だったらそんな頻繁に干渉したりしないわ」
「なるほど」
 確かにその通りだった。霧羽は未時に伝えることがあったために彼女をここに呼び寄せた。この最初に出会ったカフェテリアに。そしてその用件は確かに大事なことである。魔術の絶対法則と言って良いほどに。
 すっかりと冷めてしまったコーヒーカップの縁に手を沿える。すると約一秒の時を待って、そこからは再び湯気がゆるりと立ち上る。
「それも魔術?」
「えぇ」
「良いわね、それ。便利だわ」
「そうですか?」
「いつでもホットカルピスが飲めるじゃない」
「コーヒーじゃなくてですか?」
「私、甘党なのよ」
「ああ」
 確かに言われてみれば注文するときも甘い物ばかりを頼んでいた気がする。しかも結構な量だった気がするのだが、まぁそれは良いだろう。そこは大して問題とすべきところではない。
「貴女にもすぐに使えるようになりますよ。おそらくは、ですが」
「絶対、じゃないのね」
「貴女次第ということです」
「それが今日の用件?」
「飲み込みが早くて助かります」
 口を開こうとして、止める。未時の注文した品が続々と運ばれてきたからだ。メニューはシロップのたっぷりかかったホットケーキにストロベリーパフェ、そしてここの看板メニューである豆乳のプディング。飲み物はタピオカミルクティーである。自分で甘党と言うだけあって見事に甘い物しかない。
「向こうからの干渉もできるのね」
 湯気を立てるホットケーキを切り分けながら未時がポツリと漏らした。自分であんなことをやっておきながらそれは意外だったようだ。
「そういう風に組み立ててありますから」
「ふぅん」
 どうやらそれで彼女は納得したらしい。ますます底の知れない魔術師だ。
 魔術師にとって自分の中で折り合いを付けるというのは大事なことである。それはどのような条件を用いようとも本人の中ではそれが成り立つという論理が獲得されているからだ。
 それは辿っていけば魔術の絶対法則に辿り着く道筋。
「で、用件は何?」
 それが別段重要でもないと言うように、未時はホットケーキを食べることに重点を置いている。いや、きっと本当に重要ではないのだろう。今は。
「魔術の話です」
 それが重要かどうかは聞いてから決めれば良いことだ。
「でも完全に魔術の話というわけでもない、と」
「えぇ。聞けばすぐに魔術が使えるという訳でもないですから。でも聞いておいて損することはないと思いますよ。多分」
 これもまた同じ事。
「魔術師達の間には絶対と呼ぶべき法則が存在します」
「…………」
 未時の食べるペースが少し落ちた。視線もこちらを向いている。やはり興味はあるらしい。どうせなら食べるのを止めて欲しいと思うが。
「それを貴女に伝えようかと思いまして」
「ふむ」
「もう薄々気付いていると思いますが、魔術師は自らの魔術論理を誰かに教わってはいけません。それは――」
「数式の解き方が一つとは限らないように、一つの事象を起こす為の手段が一つではないから」
 やはり、理解していた。
「いつ気付いたんですか?」
「今、よ。直前までは何となく程度にしか分かってなかったわ。確信できたのはホントに今さっきよ」
 ホットケーキ完食。次はパフェのようだ。一口だけタピオカミルクティーを含んで数秒だけ食休み。
 その様子からは本当に分かっているのかは疑問だが、やはり彼女は理解しているのだろう。その答えが今までの言動から表面化してくる。
 生命というモノに対して色のイメージを与えて下さいというアンケートを取るとする。
 すると多くの人は青と答えるか緑か答えるかといったところだろう。ではその色は何のイメージから得たものなのか、それはおそらく青なら水、緑なら自然といったものがおおよそを占めるだろう。
 ではその生命に対して青というイメージを持った人が、緑というイメージを持った人に対してその根拠を説いたとして、そのイメージは完全に伝わり、緑のイメージを完璧な青に変えることができるだろうか?
 つまり魔術の論理とはそういうものなのだ。
 魔術師が魔術を行使するとき、魔術師は自らの中に存在する絶対的論理を持ち出さなければならない。
 そしてその強さは魔術師自身の魔力も勿論であるが、構築された論理の強さも同じくらい大きく影響するのである。その論理が他人から譲り渡されたものである場合、その力は極端に弱くなるケースが多いのだ。
 それは単純にそのイメージが完全に相手に譲渡されないからだ。
 渡されたイメージの色が同じである場合には、それはより濃いモノとして存在できるかもしれない。
 しかし逆であった場合、それはまったく違う色を生み出して、その人が本来持つイメージそのものを弱くしてしまう。
 魔術師達はお互いにそのことを恐れている。論理の上塗りは上から下への一方通行で行われるとは限らないからである。
 そのため魔術師達の間でそれは絶対に近い法則として存在している。

 “魔術師はその論理を他人に教わってはならない”

 ただそれだけを彼女に伝えようと思い、霧羽は今日という日を選んだのだ。時間を開けたのも少しでも冷静にこちらの意図を掴んで欲しかったからなのだが、どうやらその心配はいらないものだったようだ。
 それはとても残念だったが、それ以上に楽しみでもある。
 星海 未時という魔術師がこれからどのような論理を構築し、その魔術を行使するのか。
 その過程を見てみたいと思ってしまう。
 しかしそれはどうにも野暮というものだ。魔術師の多くは他人とのなれ合いを好まない。別段用がないかぎり彼女は霧羽に接触しようとはしないだろう。そして霧羽もまた同じなのである。彼も彼女と同じ魔術師であるのだから。
「どうやら杞憂に終わったようですし、僕は帰ることにします」
「そう」
「何かあったら連絡してください。僕も何か用ができたら連絡しますから」
「分かったわ。あぁ、そういえば私の方からも一つあったわ」
「なんでしょう?」
「ちゃんと奢っていきなさい。有言実行」
 霧羽はその言葉には答えず苦笑すると、空になったコーヒーカップを静かに置いた。
「では、また」
 そしてその一言を残し、彼の姿は急激に薄れていく。それはまさにそこだけに靄がかかっていくような不自然な光景。だが、そこには誰にもそう思わせない不自然な自然さが塗り込まれている。
 未時が意識を向けたとき、既にそこに彼はいなかった。ただカップの横には注文した紙を風で飛ばさないように、幾ばくかのお金が置かれていた。
 2365円。
 未時と霧羽が注文したメニューの代金である。
「チッ――」
 それを見て未時は悪びることなく舌打ちする。なぜならその代金は既に頼まれたメニューの代金ではあっても、追加注文しようと思っていたものは含まれていなかったからだ。
 同じ魔術師がどこかへ消えてしまったことよりも、彼女はこれから追加注文を行うべきか否か、まずはそれを考えることにした。
 結局、追加は豆乳プディング一個で我慢した。


                                      Prelude Zero Episode1“Logic of Magick”Fine


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